耶馬英彦

沖縄狂想曲の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

沖縄狂想曲(2024年製作の映画)
4.0
 この年末年始に沖縄に行ってきた。元旦に初日の出を見るのに辺野古の海に行くと、反対運動のテントがあって、入れ代わり立ち代わり、演説していた。純粋に初日の出が目的の人もいたし、当方のように、両方見たい者もいた。米軍の黒い戦闘ヘリコプターが威嚇するように飛んでいたのが印象に残る。
 翌日はひめゆりの塔に行って悲惨な記録を見て、アメリカンビレッジで昼食を食べたあと、チビチリガマとシムクガマを見に行った。ガマというのは天然の洞窟を防空壕に使ったもので、チビチリガマには140人がいて、指導者だった日本兵を信じた83人が集団自決したとのことだ。こんな狭い場所に140人もいたのかと、驚くほどの小さなガマである。
 一方のシムクガマは、チビチリガマから坂を登って20分ほど行ったところにある。こちらは広い洞窟だが、広いと言っても1000人も入ることができるとは思えなかった。やはり日本兵がいたが、ハワイ帰りで英語ができる比嘉さんという兄弟がいて、米軍と話をして、暴力で抵抗しない限り殺したりしないとの約束を取り付けて、ひとりも死ぬことなく捕虜になったそうだ。言葉が通じるということは、生死を分けるほど大事なことだと、改めて思った。観光客は当方以外、誰もいなかった。正月の2日から沖縄戦の残された現場を見ようという人はいないのだろう。

 日本には、同じ日本語を話しながら、言葉が通じない人たちがいる。沖縄県の有権者が、選挙で基地反対の知事を何度選んでも、県民投票で辺野古新基地建設反対が可決されても、閣僚にも官僚にも通じない。菅官房長官は「工事は粛々と進める」などと意味不明のことを言う。シムクガマに攻めてきた米兵よりも言葉が通じない。何が粛々となのだ。そんな男が総理大臣になって、自助、共助、公助などと偉そうに言う。そんなことだから能登半島地震の救済も遅れに遅れている。地震の被害者も自助しろというのだろうか。
 日本国憲法第15条第2項には「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と記されている。役人もそうだが、選挙で選ばれた公務員も、もちろん全体のために尽くさなければならない。
 政治家の大事な役割は、税金の使い方を決めることだが、どうも国民のため、住民のために使っていない感じだ。一番の使い道は困っている人のために使うことで、反対する人はひとりもいない。にもかかわらず、マイナンバーカード保険証みたいに、国民を困らせることにせっせと税金を投入する。被災者はいつまで経っても救われない。
 アベもアソウもスガもキシダも、アメリカの言いなりになりつつ、自分と周囲が儲かることしかしないのだ。マイナンバーカードを進めれば儲かる連中がいるし、辺野古新基地建設を日本が進めると、米軍は費用が浮くし、日本のゼネコンは儲かる。ゼネコンが儲かれば、鉄筋の会社やコンクリートの会社、警備会社も儲かる。そういう連中のために総理大臣をやっていると言ってもいい。そしてそんな奴らが選挙では必ずゼロ打ちで大勝する。それが日本という国なのだ。

 映画としては、いい作品だった。沖縄の歴史と戦後の推移がわかりやすく紹介されている。沖縄で困っている人々がいるのに、対岸の火事みたいに思っている人が多いことも分かる。

 舞台挨拶は太田隆文監督と、鳩山由紀夫元総理大臣。鳩山さんは総理就任時、辺野古新基地について「最低でも県外」と言っていたので、当方をはじめ、期待した人はたくさんいたと思う。そして当方と同じように、アメリカの圧力と日本の官僚に潰されるだろうと予想した人もかなりいたと思う。実際に潰されてしまったが、態度は立派だった。当方が、戦後の総理大臣として、田中角栄の次に鳩山由紀夫を評価している理由はそこにある。人としてマトモなのだ。逆に言えば、マトモじゃない人間ばかりを総理大臣にしてきた政治家を、日本の有権者は選び続けてきた訳である。
 鳩山さんも言っていたが、あと21年で戦後100年になる。しかし未だにアメリカの支配から抜け出しきれていない。日本の有権者も、いい加減気づいていい頃じゃないのか。このままだと日本は戦争に巻き込まれる国になってしまう。まったく同感である。
耶馬英彦

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