俺が本作『時々、私は考える』を観ようと思って劇場へ出かけた日はまさかの満席完売でフラれてしまい、えー!? そんなに客入ってんの? そこまで面白い映画なのかよー! と思いつつその翌日に事前予約の上観たのだが、面白かったわ。傑作と言っていいレベルだと思うし、個人的な好みも加味すれば今年ベスト級の映画でしたね。こういう映画は観て本当に良かったなと思える。
お話。舞台はオレゴン州アストリアという静かな港町で人付き合いが苦手で不器用なアラサーくらいの女性が主人公。地味な事務仕事をしながら会社と自宅を往復するだけの静かな毎日を送って、友達も恋人もいないという女性である。これといった趣味もないが、唯一の楽しみといえば空想に耽ること。そんな日々の中にやたら人懐こい新人がが職場へとやってきて、彼女の生活は少しだけ変化する。ともに食事をしたり映画を観に行ったり、いわゆるデートを重ねながら主人公は変化していくのだろうか…というお話ですね。
まぁこのあらすじだけだと正直何番煎じなんだよという感じで、特に小規模な予算の邦画なんかだとこういう些細な生活を綴った作品なんかはあるあるで、さらに言えば最近観たばかりだからか『めくらやなぎと眠る女』以上に村上春樹的な日常と自己との関係を思わせるような映画でもあったと思う。ただそういう村上春樹的なミクロな中での自己との対話のような作品ではあっても、自意識の檻の中でどこまで行っても自分は自分なんだよ〜って幼稚な悩み()に耽るわけじゃなく、そんなの大したことじゃないよって飛び越えちゃうのがえらい映画でしたね。俺が嫌いな春樹的な結論とは真逆に行ってくれたのが個人的に高ポイントでした。
まぁそんな感じで特に事件も起こらないままのささやかな日常を描いただけの作品なんだけど、一応物語のフックとしてはあらすじで触れたように主人公には妄想癖があるというものがある。その妄想が作中のそこかしこで挿入されて、おや? と観客に違和感を投げかけるのである。これは公式サイトのあらすじ説明でも触れられているし、原題である『Sometimes I Think About Dying』というタイトルを見れば分かることなのでネタバレとは判断せずに書いてしまうが、主人公が耽る空想というのが“死”にまつわるものなのである。たとえば車の運転中に事故ってしまうこととか窓の外でコンテナを吊り上げるクレーンを見て自分の首が吊られていくのを想像するとか、そういう希死念慮というか死への憧憬や欲動と言ってもいいような空想に耽っているんですよ。
そういうのがすげぇ分かるなって思って、まぁ俺は特に自殺願望とかはないし自分が死ぬくらいなら他人を殺す方がマシだという非常に危険な考え方を持っている人間なんだけど、自分がこの世界からスッと消えていったとしても特に問題もなく大丈夫だろうなという気持ちもあるし、そう考えると気持ちが安らぐというところはあるんですよね。それっていうのは自分という人間がちっぽけで世界に対して何の影響力も持っていないということではなくて、むしろ世界というものは自分が思っているよりも遥かに懐が深いもので、この世界にあるすべてのものには代わりがあるのだということだと思うんですよ。それを突き詰めると自分は自分じゃなくてもいい、他の何かになってしまってもきっと大したことではない、ということにもなる。そのことの優しさっていうのがアメリカの静かな田舎町で冴えない女性が生活してるだけの本作は描いていると思うんですよね。
これがアメリカが舞台であるということがまた大事で、アメリカって何かと「自分が何者であるか」を問われる社会じゃないですか。じゃないですかって言っても俺はアメリカで暮らしたことないけど、近年様々な分野で話題になるトランスジェンダーとかの問題でも「自認としての性」が正に重要視されているわけでそれはやっぱり「自分は何者か」ということだと思うんですよ。元来移民の国なのでそういう自分の立ち位置やルーツといったものが性自認や政治的スタンスや人種といった面で重要視されてきたのだろうと思うのだが、それはある意味では自身の存在を規定してしまうことによって「何者か」にならないと生きていけないという窮屈さにもなると思うんですよね。
それでいくと『めくらやなぎと眠る女』と同様、最近観たばかりの『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』も感想文中で書いたように実にアメリカンな部分の表と裏を描いた映画だったのだが、そのアメリカさというのはアポロ計画と東西冷戦という題材からも分かるように非常にマクロなものだったのであるが、本作は自分自身がどこに立っているのか、自分自身としてのままその立ち位置だけを変えることはできないのかということに対してこれ以上ないくらいミクロな視点で描き切ったと思うんですよね。
そこで描かれたものというのが、自分で自分を閉じ込めることはないんだ、というものだったのがとても好きだったし、まったく押しつけがましくなく静謐にそのことを表す終盤のシーンはとてつもなく素晴らしかったと思う。どういうシーンだったかの詳細は伏せるが、登場人物がドーナツ買うだけで泣いたのは初めてかもしれない。あれ多分、ある台詞を言われるまでは単に自分の朝食用に買うつもりだったと思うんだよね。でも結果そうじゃなくなったということはとても希望に思えるんですよ。
またその終盤のシーンの前に友人宅のパーティーでTRPG的なアドリブでのごっこ遊びのシーンがあったことが主人公のささやかな変化と物語全体のテーマにも非常に上手く作用していてとてもよく考えられた脚本だと思いましたね。脇役としての同僚たちの見せ方も職場で会うときとプライベートのときとのちょっとした違いの見せ方が上手いんだ、これが。
寂れた田舎町の風景もいいし、クスっと笑えるようなユーモアのある会話もいい。抑制の効いた劇伴も良かったな。ま、総合するとこれはとても好きな映画でした。非常に良かった。