ヨーク

シビル・ウォー アメリカ最後の日のヨークのレビュー・感想・評価

3.8
まぁ面白くはあったんだが…というこの書き出しの時点ですでにあぁ…と思われる方もいるだろうがその通り、ちょっと思ってたのと違うなという映画でしたね。いやでも別につまんなかったわけじゃないんだよ? お前毎回そう言ってんじゃんて感じであんまり説得力がないかもしれないが、でもそれほど面白くもないけど別に悪いわけでもないっていう映画は実際にあるんだから他に言いようがないだろ! 大体が俺基準では3.8というスコアは十分に面白い映画のスコアですからね! 『オッペンハイマー』とか『ゴジラ-1.0』とかと同スコアなんだから超面白映画でしたよ! 『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は! 大体が思ってた映画と違ったらそれはまぁ確かにガッカリはするわけだが、だからといって映画そのものがつまんなかったということとは無関係なんだからな!
と、ひとしきり何に対してかは分からないままにキレたわけだが落ち着いて内容について書くと本作はアメリカの内戦を描いた映画ですね。ちょうど折しも大統領選の真っ只中のこの2024年の後半なので非常にタイムリーな映画だと言えるだろう。本国アメリカでも本作はそのタイムリーさから身近な親近感を持った怖さのある映画として中々のヒットになったらしい。ちょっとふざけた感じの感想文の書き出しとして上でも書いたが、繰り返すが実際俺も面白い映画だなー、とは思ったんですよ。でも、確かに面白かったが観たかったものとは大分違ったなという映画でした。
ではどんなお話の映画だったのかというと、ストーリーをかなり端的に要約すると近未来(多分)のアメリカで内戦が起きてもうすぐ反乱軍がワシントンに攻め入るという状況で主人公の戦場カメラマンは特ダネゲットしたるでー! と息巻いてカメラマン仲間と共にワシントンに向かう。ちなみにその旅には主人公に憧れる20歳前後くらいのまだ子供じゃんっていうカメラマン志望の女の子も付いてくる、というお話です。
ま、それだけの話ですよ。本当にそれだけ。まぁロードムービーなんて移動そのものが物語になる映画だしそんなもんじゃない? と言われればそうなんだが、そこで描かれるのは内戦によって変わり果てたアメリカの最前線の姿、ではあるものの、ぶっちゃけそれがアメリカの内戦である必要性があるのかなという描かれ方だったんですよね。極端な話、未曽有の大災害でインフラがぶっ壊れて行政も機能停止して治安がゴミカスになってしまったという設定でもいいしアメリカ全土でゾンビパニックが起こって政府が機能しなくなったでも似たような映画は撮れると思うんですよ。
まぁ、つまりはあれだね、アメリカの内戦という時期的にも美味しいテーマがあんまりうまく調理されてなかったんじゃないかなぁと思ったわけですね。俺としては映画全体の3分の1くらいの尺を使ってなぜアメリカが内戦状態に突入してしまったのかというところを描くようなポリティカル・ドラマを期待していたんだけどそれは冒頭1分くらいのナレーションですっ飛ばして即内戦下のアメリカの前線に場面が映るのである。要は、なぜこのような内戦がどのように起こったのかということはさっぱり描かれないのだ。
しかもその数少ない設定の説明としてしか機能してない部分ではカリフォルニアとテキサスが手を組んでそこにフロリダが合流して…というような感じだったがカリフォルニアとテキサス!? とびっくりしてしまった。だってその2州は流石に政治的なスタンス大違いでしょ。いくら何でも同盟組むとは思えんよ。まぁ、本作の反乱軍はおそらく大元はリベラル派(大統領がまんまトランプだったので)として描かれていると思われ、テキサスでずっと陽の目を見ることができなかったリベラル派(というか民主党派)がこれまでに溜まった鬱憤の大きさに比例して過激な方向に走った、というような見方もできるかもしれないが、まぁ何にせよその過程がなにも描かれていないのでその部分を設定としてだけ受け取るとイヤイヤイヤ、そうはならんでしょ、と思ってしまうわけなのである。
ま、そこは毛沢東主義者たちの派閥が一大勢力になっているのを見て察する通り、余り生々しく現実の政治状況を反映させない方がいいかもという判断もあって端折ったり具体的に描いたりはしなかったのだろうが、でもそれだとアメリカ内戦というモチーフが死んじゃわないか? とも思ったんですよね。具体的な経緯が分からないままにどんどん状況だけが描かれていくのでハラハラドキドキはあるものの普通に娯楽映画としての戦争映画だったなぁという印象になるんですよね。
でも全然つまんなくはないんだよ。特にミリタリー描写はリアル調に描かれていて、後半の市街戦でアパッチが大暴れするんだけど、ちゃんとアパッチが低高度に降りてくる前に迫撃砲で周囲の歩兵を薙ぎ払ってからアパッチを運用するという段取りが描かれるんですよね。周囲が歩兵に囲まれたままでアパッチが降下してきてもみんな大好き「R・P・G!!」の掛け声と共にブラックホーク・ダウン待ったなしですからね。戦車に随伴している歩兵の動きとかも実にそれっぽくて見どころだったと思う。
あとは本作を観た多くの人がもっとも印象に残るであろう赤サングラス野郎のシーンも、実に緊迫感あって面白いし一たび内戦状態に突入するとどちらかの軍に所属しているのかどうかも疑わしい、こういう人種差別野郎(さり気なく両腕に腕時計してやがる)が大手を振って好きなように振る舞うという怖さもそこにはあるのだが、何か降って湧いてきたイベント感があって映画としての出来の良さを先に感じてしまったんですよね。
いや本当にそこからラストにかけてはよく出来てるんですよ。主人公の戦場カメラマンは内戦下で同じアメリカ人に銃を向けられ、その恐怖で戦場カメラマンとしては壊れていくが対照的にカメラマン志望の少女は…という流れになるわけですが、あれは単なる言葉の綾とも言われるかもしれないが主人公の方は別に壊れてないんですよね。むしろ今まで壊れていたものが元に戻って戦場の中で写真なんか撮れなくなったというのが正しいと思うんですよ。どういうことかというと、戦場で死んだ人間(もしくはこれから死ぬであろう人間)にカメラを向けてシャッターを切るってことは本質的には人間に銃口を向けて引き金を引くのと大差はないんだ、ということを本作は言ってるわけですね。それを念頭に置くと主人公は今までは平気で戦場で死んでいく兵士たちを撮ることができたのに、いざ自分が銃口を向けられたときに自分がやっていたことは銃の引き金を引く代わりにカメラのシャッターを切っていただけだ、と気付いてそれができなくなったわけですよ。だからある人物を撮った写真をデリートしたし、最後はシャッターを切らずにその身で他人を救うという行動を取った。今正に目の前で人が死ぬというときに冷静にシャッターを切ってる自分が嫌になったんですね。そういう意味では彼女は壊れたのではなく、むしろ逆に人間性を取り戻して今まで欠けていたものを直すことができたとも言えるだろう。そう考えるとカメラマン志望の少女の終盤の行動も腑に落ちるってなもんで、良くも悪くも彼女は戦場という異常な場に順応してしまったのである。最後の写真の後も絶対この内戦が綺麗に終結したりせずにカリフォルニアとテキサスとの間でまたひと悶着あるだろううなぁとか思っちゃいますよね。どう観てもめでたしめでたしな終わり方じゃないもん。
本作はそういう物語だと思うので、まぁよく出来てて面白い戦争映画なんだけど、しかしそれはやっぱアメリカで起こり得る内戦を十全に描いたものとは思えなくてよくある戦争映画のバージョンの一つというものでしかなかったと思いますね。繰り返しになるが、だから俺は事が起こった後の状況じゃなくて、如何にしてその事が起こったのか、というところを観たかったのだ。
まぁ面白い映画ではあるし、こんなもん一時的な戦争の狂乱の中で浮ついてるだけで結局どっちが勝ってもクソなんだよというメッセージはあったと思うので全然悪い映画ではないと思うが、それはそれとしてベタ褒めするほどの映画でもなかったなという感じでしたね。でも戦時下で移動しながら生きてる感じというか、飯食ったり空いた時間でダラダラだべったりしてるシーンは良かったです。
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