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大日本人のmarimoのレビュー・感想・評価

大日本人(2007年製作の映画)
2.8
観るなら今のタイミングです
次のタイミングは…裁判の判決後かな?

公開から17年
当時は理解できなかった松本人志の映画も
今なら分かるかもしれない

…ダメでした

まだ私は本作の魅力には気づけません


ちなみに私は”ごっつ”世代です
松本人志は大好きです

小学6年生の時に「トカゲのおっさん」を観た時の衝撃は今も覚えています
裏番組がマラソンで、どうせ何やっても視聴率なんて取れない…からこその挑戦的なコント
マラソンに興味無い私は”ごっつ”一択でした

放送時間45分のうち35分が「トカゲのおっさん」という衝撃
コントの途中でCM挟むんです
それまでのコントって1〜8分ぐらいのイメージだったんです

松本人志の提案で長尺コントにしたいと始まった「トカゲのおっさん」
実際企画会議を始めると大変だったようで色々なネタを出すも難航
そんな状況を打開したのが浜田雅功
その後アイデアが加速して
名作コント「トカゲのおっさん」が生まれたわけです

松本人志を天才たらしめる裏には浜田雅功の突破力と推進力が不可欠なんです

さてさて前置きはこれぐらい

この「大日本人」
松本人志の初監督作品として
当時とんでもない期待だったんです

今まで見たことのない凄いものが見れる
何を隠そう、私だって上映初日に映画館に行ったんです

実際、蓋を開けてみれば

…ご存知の通りです

先の「トカゲのおっさん」というコントが
少なからず本作の源流にはあると思います
おそらく、松本人志の構想では
あれができたんだから2時間の映画だって作れるだろうと

…コントと映画は違います

本作がどんな映画なのかというと

この日本に実際に巨大ヒーローがいたらという思考実験な話
防衛庁の管轄下に置かれているリアルテイストな路線
“獣”と呼ばれる異形の怪獣が現れる世界
この”獣”と戦う巨大ヒーローは”大日本人”と呼ばれ”大佐藤”という家系が代々担っているという設定
その”大佐藤”を取材するという形式のモキュメンタリー

これだけ聞くと面白そう…

松本人志お得意のシュールな展開
冗長なアドリブ的なテンポの悪いインタビュー形式

どうも映画館という空間との相性が悪い
(家で観たところで改善はないので空間の問題ではないかも)

暗い館内で笑い声も聞こえず
どこかスベってる空気のまま時間が過ぎていく

CGで描かれた芸人を模した”獣”と、CGで描かれた松本人志(大日本人)が戦う姿
しんと静まった映画館で観客は黙ってそれを観ているのである

想像して欲しい
映画館という空間が生み出す集中力がこれほどまでにマイナスに働く瞬間を


“獣”との戦いがそれなりに予算をかけたCGで描かれているということ
大オチのフリとして、このリアルなCGが重要なのです…

この大オチですが…まあ、結局コントなんですよ
2時間の映画のクライマックスとしては心底くだらない

映画が大好き、松本人志も大好き
そういう客層多かったはずです

このくだらなさに忖度しなければいけないのか…
当時、そんな気持ちでした


この映画を観ている時の感情は
この一点なんです

「恥ずかしい」

これが多重構造で襲ってくるんです

松本人志のネームバリューで来たであろう普段映画館に足を運ばない観客に対して
「映画ってもっと豊かなものなんです、面白い映画たくさんあります」
そんな声を発したい、映画が汚されてしまったことへの悲しさ、それを上回る恥ずかしさ

松本人志のコントを知らない映画好きの観客に対して
「この人のコントめちゃくちゃ面白いんです、これ何かの間違いなんです」
そんな松本人志がフルスロットルでスベり倒していることへの悲しさ、それを忘れるほどの恥ずかしさ

”おしまい”と表示されてエンドロールになり安堵したのも束の間
現在はテレビに映ったらダメな人の声でダメ出しが始まります
完全にテレビのバラエティのノリです
「もうやめてよ、まっちゃん」
エンドロールすら解放してもらえない若干の苛立ち、それでもなお上回る恥ずかしさ

映画ってなんでも許容できる懐の深さがあると思ってました
実は相当品格の高い媒体だったんです

結局、松本人志はテレビの人であって、映画のような品格のある媒体との相性は悪かったんだと思います

ところどころビジュアル的に印象的なところもあります
ただそれを上回る非映画的なノイズにより終始居心地が悪い
観ていて、ただただ恥ずかしい作品

サブスクにはありません
購入かレンタルするしかないんです
今みたいなタイミングでなければ絶対に観ない映画です

「ゼヒッ!!」
marimo

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