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花子 4Kのzhenli13のレビュー・感想・評価

花子 4K(2001年製作の映画)
4.4
花子さんはピンクハウス、父の泰信さんはカールヘルムのトレーナーを着てるが母の知左さんは黒一色などシックな装い。誰の趣味だろう。泰信さんがものすごく優しいうえになかなか味わいのある方。京都の大山崎町は狭い道とアップダウンが多い。見ているぶんには愉しいが大変そうな蛇行した上り坂で阪急電車が通る高架をくぐって泰信さんと花子さんがてくてく上るロングショットは印象的だった。
知左さんも泰信さんも、一緒に歩いたり買い物したりしてる最中に利かん気を起こす花子さんにたびたび手を焼くようすも映される。

食べものを畳や床に並べるという行為は、花子さんが「アート」をものしているというより、母の知左さんがその写真を撮るという行為によって「アート」とされる、いわば花子さんが筆と絵の具で、知佐さんが筆をもって使う人、のようにも思えた。
しかし花子さんは自分が並べた「完成品」を母がカメラで撮影するのを待っているし、その様子をちょっと嬉しそうに見ている。なので母娘共作という感じもする。花子さんは絵画教室にも通っていて(それが知左さんの発案なのか花子さんの希望があったのかは不明)、ゲルハルト・リヒターの抽象シリーズのようなダイナミックな絵画制作もしている。『まひるのほし』もそうだったが、自分のやっていることに関心を持たれて認められることは、(表現の衝動に他人の承認は必要無いとしても)誰にとっても嬉しいし意欲につながるのだなと。

そしてこれも『まひるのほし』で強く認識したことだが、絵画彫刻文学等々の表現に長けた人は「社会」の基準に合わせるのが苦手なマイノリティも多く、こと知的障害などなかなか意思を伝えづらい人たちのそれは、誰かに「発見」され、「社会」に注目されるかたちでのコーディネイトが必要になる。それは必ずしも本人が欲することではないけど、「社会」で生きてくための手段としてときに有効だし、やりようによっては潰されてしまったり台無しになってしまったりすることもある。

そういう意味でいうと、花子さんの食べものをただ床に並べるという反文化的行為を瞬時に面白い、「アート」だと思った知左さんの感性がかなり尖っている。(ちなみに「アート」を括弧付きにしているのは私はその言葉に違和感があるため)
彼女の話しぶりからは、家族全員を一人ひとり別の人間として見ている感じがある。私はこう思うけどあなたはどう思うか知らない、みたいな。なので「花子は迷惑だと思ってるかもしれないけど、私は面白いと思うから」と述べている。「面白い人」「退屈しない」「二十数年一緒だから大変だという感じはない」ともいう。
ちなみに、通う事業所を替えたら笑顔が出るようになったという、「外」の場での花子さんはちゃんと他人に関心を持ってて、見ていて嬉しい。彼女にも家族の中だけでないオフィシャルの顔があり、ちゃんと馴染んだり我慢したり楽しんだりしている。

とはいえ知的障害の程度としては重度の範疇(身辺自立はかなりしているが発語はなくこだわりが強く癇癪も多い)に入るであろう花子さん優先の家庭であったことは想像に難くない。姉の桃子さんは顔出しNGらしい。自室でチェロを弾く後ろ姿と磨りガラスドアごしの姿のみ。しかしインタビューの音声で思うところを淡々と抑制的に語っている。もうすぐ家を出るが、「風のように時々近づいてふっと感じるような存在でいたい」と述べている。桃子さんが高校生のころ、鉛筆を持ったり本を開いたりするのを花子さんが急に嫌がるようになり本を取り上げたりするので、家で勉強が一切できなくなったことがあったそう。
今でこそ障害のある子のきょうだいの自助グループやピア支援などもあるけど当時はと思うと、お姉さんの存在にもきちんとフォーカスしているのはさすがだと思う。オープニングタイトル文字も桃子さんによる。

花子さん、元気であればいま四十代後半だろう。知左さんと泰信さんも高齢だろうから、家を出てグループホームなどで生活しているだろうか。
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