LalaーMukuーMerry

太平洋奇跡の作戦 キスカのLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965年製作の映画)
3.8
第2次大戦(太平洋戦争)を描いた古い日本映画(1965)。アラスカの南の島弧、アリューシャン列島の中の島、キスカ島からの日本軍撤退を描いた物語。こんなことがあったとは全く知らなかった。
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World War II in the Pacific everydayという動画サイトで、日本軍の占領地域の変遷をチェックしてみる。1941年12月7日の真珠湾攻撃以来、日本は無謀な勢いで南方に戦線を拡大していき、インドシナ半島、インドネシア、ニューギニアの北半分、南太平洋の島々まで占領していく。一方北方は、日露戦争以来、樺太の南半分と千島列島の全て(カムチャッカ半島の手前まで)が既に日本領土で、それ以上の領土拡大は無かったのだが、1942年6月6日に突然アリューシャン列島の二つの島、アッツ島とその東隣のキスカ島が日本の占領地域になる(アメリカの領土を武力で奪った!!) 
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この頃、日本の占領地域は最大となり、この状態が1年ほど続く。連合軍(アメリカ)はこの間、挽回を期して態勢を立て直していた。そして1943年後半から連合軍の巻き返しが徐々に始まる。南方の島よりも、まず自国の領土を取り戻す方が重要だから、アッツ島とキスカ島への米軍の空襲は激しかった。5月30日にアッツ島が奪回され守備隊は玉砕、約2650名が戦死。残ったキスカ島も時間の問題と思われた。
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戦争末期の南方戦線の日本軍の惨状はよく知られたことだが、1943年当時はまだ艦船、潜水艦等の軍備も十分あり、海軍-陸軍間の連絡もよく取られていたので、末期の頃よりずっと「合理的」な作戦、すなわち北方は捨て、軍備を南方に集中させるという大本営の基本戦略のもと、キスカ島兵士(約5500名)を撤退させる作戦がたてられた。気象予報をもとに海霧の発生する日に、千島列島最北端の拠点、幌筵(ホロムシロ)島から相当数の艦船部隊をキスカ島に送り、アメリカ軍の包囲網をかいくぐって、島の守備兵全員を救出するのだ・・・
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戦争の悲惨さ理不尽さよりも、作戦が大成功したという痛快感に浸る作品でした。Wikiをみると、米軍の動きが詳しく書かれていますが、米軍が周りにいなくなった空白の一日、7月29日に、米軍の情報を何も知らずに本当に偶然に、撤退作戦が敢行されたようです。一日ズレていたら米軍に気づかれて攻撃を受け、作戦は失敗していたことでしょう。
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再びWorld War II in the Pacific everydayという動画サイトでみると、キスカ島が米軍に奪回されるのは8月15日になっている。これは、日本軍が撤退していたことも知らずに上陸した米軍が、同士撃ちをしたあげく、島には日本兵は一人もおらず犬しかいないと、やっと気がついた日だと思われます。
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ウルトラマンの円谷英二による特撮映像、あぁ懐かしいこの感じ!
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撤退作戦の現場司令官、大村少将に三船敏郎。決断を下す司令官の孤独と苦悩、いい味出してました。
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DVD特典映像の、撤退作戦を体験したキスカ島守備隊員だった方のインタビューも大変興味深い内容でした。今の自衛隊にはかつての日本軍の伝統が(良くも悪くも)受け継がれているのだなと感じました。