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CURE キュアのOtoのレビュー・感想・評価

CURE キュア(1997年製作の映画)
4.0
ひどく引き込まれる...割り切れないからこそ持続する面白さ。
「リンチの映画はどんな解釈を当てはめても余りが出る」と最近聞いて納得したけど、分からなさの快感はそれに近い。

間宮のカリスマ性にやられるが、彼の役割として自分が見出したのは、
1:空っぽの器であるが故に他者を写す水となる「鏡」。
2:自身を火で照らして気づかせる「伝道師」。
3:CURE(教唆)を行う「医者」。

1は自分自身よく体験する。自主性のない人と対面して助言を与える時、その言葉は自分自身に向けられている。
間宮は「あんたは誰だ?」を繰り返す、そして相手は間宮の中に自分自身を見つけてしまう。
間宮は相手の自己の発露が見たいので、社会的な肩書きや環境に囚われる人は「つまらない」とみなす。

2の結果として、相手は何かに気づく。精神科医だった頃の間宮も先に同じルートを辿っている。
夫と刑事という中途半端な二面性、暴力や脅迫で解決してきた弱さ、「あんな女房の」という異性に対する潜在的な見下し、「女のくせに」という劣等感や悔しさ...。
高部の妻も、佐久間も、みな間宮と類似するような面を抱えているのが面白い。人間みなそう大きくは違わなくて、「ヒトラーも普通の人間だった」という文章を思い出した。実際、高部も伝染の流転に参加してしまっている。

そして、3でその苦悩を解放してあげる。
CUREはタイトルにもなっているけど間宮の魅力に直結していて、良いダークヒーローは気づきを与えるし悪と言い切れない部分を持っていると思う。新しいものを作り出す人は凡人は思いもつかないような異常性や苦悩を抱えている。
妻の死は高部自身が望んでいたことのように見えたし、他の加害者達にとってもそのようだった。働きすぎという現代の問題にも言及している。

催眠なんて科学的な信憑性はないと思っていたけど、信じてしまうくらいの映像と演出の力があった。サスペンスだけどしっかりホラーで、オカルティズムに目覚めそう。
高速のクロスカットが非常に印象的。正面の顔の強度や、クレジットの見せ方、細かい手ブレ、冒頭の対位法、記憶喪失の演出、トンネルの点滅など、面白い表現が多い。メイキング見たい。
役者が素晴らしいのはいうまでもないけど、でんでんはこの頃から怖かったのか。。

小道具は特に意図が読めないものが多い。青髭、動物、螺旋オブジェ、やけど、メスマー、食欲、蓄音機...。単純に論文が手書きであることにも驚いた。
火(改札信号、たばこ...)や水は特に印象的だけど、液体は「動物磁気」なんだろうと思った。

この映画自体が間宮のような役割を果たしていて、自分は何がやりたいのだろうって改めて考えてしまうような、力のある作品だった。
出世作と言えど初作品から15年近く経っているのか...そしてさらに20年経っても作り続けている偉大さ。また観たいし小説も読みたくなった。

*『黒沢清の映画術』で詳しく解説されているようだけど、高部が妻を殺したのは明らかだけれどそれを見せなかったことは意義深い。「自分が誰なのかはっきりと認識がありながら間宮と同じようなことをする」点でアップデートしたみたい。最後のウエイトレスは高部を殺すかと思いきや、どうやら同僚を刺すらしい。編集・ワンカットを強く意識している。
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