Oto

ボーはおそれているのOtoのレビュー・感想・評価

ボーはおそれている(2023年製作の映画)
4.0
after6 junction試写にて。昔から好きな宇多丸さんが数メートル先で話してて舞い上がった。
アリアスターの新境地とも言えるコメディ(心配性の男が酷い目に遭い続ける物語)でゲラゲラ笑った。

<不条理コメディ>
恐怖と笑いは表裏一体だと言われるけど、過去作と比べるとそのバランスが反転している。
いわゆる「不条理コメディ」で、ロマンポランスキーを連想するけど、野爆や天竺鼠のコントにも近くて「何を見せられているんだ?」という感じで笑ってしまうやつなので、日本人との相性は良さそう。ミッドサマーも日本で一番ヒットしたらしいし、今作は日本映画や歌舞伎の影響もあるらしいのでそんな意識もあったりして。

第1章の寝坊以降は特に劇場が爆笑の嵐で、個人的ベストは「薬の水を買いに行って帰宅できなくなる」と「母親の電話に掛け直してからの”残念だ”」と「浴室での争いからの裸での警官とのやりとり」。もはやここが映画のピークとも思えるくらい。
人がひどい目にあって母親まで亡くしているのにゲラゲラ笑ってしまうの、やっぱり笑いって加害性を持ったものなんだなぁと思うし、今泉監督がいう「物語は気まずさ」というのも正しいと思えた。

<宿命論>
ただアリアスターの真骨頂はこれらがすべてただのおとぎ話(嘘を強引に受け入れさせる作品)ではないところにあって、詳しくは伏せるけれど、今作でもどんな悪夢よりも恐ろしい現実というのが最後に待ち構えているので、そういう全てを見通した構成力がやっぱり卓越していると思う。「生まれつき全てが決まっている」という宿命論的な考え方がテーマにも作品のも構造にもなっているという美しさ。録画を先送りして映画の展開を見せるというのも見事なシーンだし、ファーストシーンも本当に圧巻。

キューブリックやフィンチャーの影響が強いというのに納得する、徹底した作り込み(絵作りや仕掛け)はずっと好きな作家性なんだけど、今作は3章以降は特に観客を置いていく展開になっていく。アニメパートに関しては、長々と描いた挙句に「おっと俺の話じゃなかった」みたいな感じで終わるので、なんじゃこりゃ!ってなった。「オオカミの家」の二人が監督しているとの噂。

話題の「ヒスママ構文」を映画にするとこんな感じなんだろうなという読後感があって、論理の飛躍によって生まれる恐怖と笑いの映画だなぁと思う。章ごとに気絶によってそれまでのことがリセットされていくという作りも、点の羅列のような印象を強めているように思う。

<家族という呪い>
『PERFECT DAYS』でも誰もが感じる「なぜそんな場所で一人暮らししているの?」(しかも金持ちなのに)という疑問が序盤から湧くんだけど、それがしっかり伏線になっているし、「母親に会いにいく」という物語のミッション自体がそれを暗示している。

虐待を受けていた人がどのようにトラウマを治療しているかという話を本人から聞いたことがあるんだけど、深層の深層に入っていくような『インセプション』的な映像が浮かぶらしく、この映画の描写とも一致している。監督自身ははぐらかすらしいけど、やっぱりかなりリアルな原体験があるんじゃないかと感じた。

自分も0か1かの人間で、完全な自由あるいは依存関係に陥りやすいのでよくわかるんだけど、「自分より大切な人ができるのが許せない」という支配的な毒親やパートナーの思考の結果として、優しさすらも全てが悪とみなされるということはあって、そういう恐怖が第4章にはあった。やっぱり「条件付きの愛」(愛したら返ってくるだろう)ではなく、「自分が愛したいから愛している」(愛させてもらっている)と思っていた方が幸せなんだろう。

<まとめ>
3時間の映画なのに、え?これで終わり?みたいな感じで、令和ロマンの漫才のように、広がりかけてた拍手が途中で止んだのが面白かった。序盤のコミカルな勢いが、中盤以降はかなり内的な方向に向かっていくので、長さを感じる作りになっていて、尿意とかなり戦った。ただやっぱりこれこそが映画だからできることという感じがして、理解しやすいものばかりじゃない魅力に溢れていると思う。

<宇多丸&大島依提亜トーク>
ネタバレが多いのでコメント欄に。
Oto

Oto