メル

異邦人のメルのネタバレレビュー・内容・結末

異邦人(1967年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

原作アルベール・カミュの「異邦人」
背伸びをしたい高校生の頃に友人と競争する様に読んだけれど、哲学的で難しかったし細かい所はすっかり忘れてしまった。
「それは太陽のせいだ…」というセンセーショナルな言葉しか覚えていない。
吹き替えではあるけれどヴィスコンティの今作をYoutubeで観られた事はラッキーだった。

暑い夏の日ムルソーは母親の葬儀に出たが暑さが不快なだけで悲しみは余り感じなかった。
翌日には恋人マリーとコメディ映画を観た。
そしてある日、友人の別荘に出掛け友人のケンカ相手のアラビア人を殺してしまう。
ムルソーに殺意があった訳ではない、アラビア人が先にナイフをチラつかせたのだ。
めまいがしそうな太陽の暑さの中でナイフの反射光を振り払う様にピストルを撃ったのだ。1発ならまだしも4発も…。

裁判ではムルソーが母親の葬儀で涙を見せなかった事、喪に服する事なく翌日には女と遊んだ事が集中砲火を浴びる。
母親の葬儀で泣かないのは人間としての心を持たない狂人であると…。
そして殺人の動機を聞かれムルソーは言う「太陽のせいだ…」と。

判決は「死刑」。
信仰心が無ければ人間では無い、人間性を喪失した者は狂人である、ならば死刑が妥当、という理屈。

死刑を待つムルソーに教誨師(きょうかいし)が面会に来る。
今作のメインは此処だろうと分かる位ムルソーが能弁になる。
「神を信じない」と言うムルソーに、司祭は「気の毒な男だ」と上から目線で言う。
「壁の中に神の顔を見るだろう」と司祭が言えば、「何ヶ月も見ているが壁は壁でしか無い」とムルソー。
「人間の裁きより神の裁きが大事、祈りなさい」と司祭。
ムルソーは言う「僕は自分の行為を咎められ、それに対する償いで死んでいくんだ。残された時間は貴重だ、神やあなたに費やす時間は無い」

人間に裁かれて死んでいく無神論者の心に司祭の言葉は全く無力なのだ。

この一連のやり取りはとても興味深い。
カミュが提示したかった事がはっきりと分かるし、裁判での全体主義的な考えから弾かれた者は人間扱いされない点も同じだ。

映像で残念なのはマルチェロ・マストロヤンニが中年のサラリーマンにしか見えなかった事。
ムルソーはもっと若い設定だったはず、母親の葬儀で泣かないのが不自然な位若い青年なのだ。
当時43歳のマストロヤンニでは貫禄ありすぎで親族の葬儀で泣かなくても全く不自然ではなかった(笑)

葬儀で泣く…ということで「涙女」という映画を思い出した。
中国や朝鮮半島では他人の葬儀で雇われて大泣きし報酬を貰う、仕事としての「泣き女」が今でもあるそうだ。
儒教では葬儀の時に泣く人が多い程故人の徳が高くなるという考えらしい。

日本でも戦前には奄美、八丈島などで見られたとか。
涙の量が人間性と愛情の証という事か。
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