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模倣の人生のzhenli13のレビュー・感想・評価

模倣の人生(1934年製作の映画)
4.0
ようやく観ることができた。ダグラス・サーク『悲しみは空の彼方に』との比較になってしまうが、このジョン・M・スタール『模倣の人生』(原題は両作とも同じ)を補完しさらに時代に沿って掘り下げたものとしてサーク版は素晴らしいし、スタール版もまた時代を考えると素晴らしい。白人女性が男性に搾取されることなく自立し成功する構図をもさらっと提示している。1934年公開であることからもしかしたらぎりぎりヘイズコードの影響を免れたのか。

クローデット・コルベールはラナ・ターナーの役どころと違ってグイグイ出て行く我の強さや自分本位なところが無く、商売に強いうえ人格的にも最後まで破綻が無く黒人の理解者としての白人=完全なる善として設定されている。あくまでも謙り続ける黒人女性デライラ=ルイーズ・ビーヴァースは生活が安定してもなおコルベールと共に暮らすことを望み、白人側の支配または搾取ではなく黒人女性自ら志願した関係であることが強調される。これはサーク版でも同様だけどサーク版には含みがあるように思う。
スタール版での大きな違いとして、ビーヴァースはパンケーキの考案者として商品キャラクターとなり(これも「白人の善意」の象徴のように描かれるがまさに「ジェミマおばさんのパンケーキ」)共同経営者となる。しかし彼女が表に出ることは決して無い。あれよあれよという間に(サーク版の比にならないほどの)成功者となったコルベールが豪邸の階段を上がると同時にビーヴァースが地下へ下りる構図。物語的にも一緒に居続ける理由が用意されているものの、ビーヴァースの存在そのものは黒人であるゆえに白人の経済活動や社交においては全くの透明人間。サーク版でのファニタ・ムーアはあくまでただの小間使いであり続け、小間使いゆえに白人の社交の場にも登場できる皮肉。

サーク版では壮大な葬列が突如として現れるが、それ以前にファニタ・ムーアが黒人コミュニティと教会にかなり帰依していることを匂わせる台詞が少しだけ出てくる。さらにはその台詞や豪華な葬式から、彼女にとって真に大切なものは信仰であること(娘も勿論大切だが明らかに信仰あってのこと)が判り、それゆえに娘が母とはまた違う形で負わされてきた差別の苦しみを、母が真に理解することはきっと無かったことも判る。
スタール版でルイーズ・ビーヴァースが黒人コミュニティに関わっているような描写はなく、そのかわり彼女の望む葬式が詳細にクローテッド・コルベールへ語られる機会がある。実現された彼女の葬式が表すものは黒人女性としてはあり得ないくらいの財産を築いていたことであり、娘の家出によって生き甲斐を失い死に瀕したことから彼女にとって真に大切なものは娘であることを印象づける。
そしてスタール版のラストはビーヴァースの娘も母の遺志に沿い、白人母娘の(割と都合のいい)和解で締めくくられるが、サーク版のラストは人種差別が根底にある全ての掛け違いが放擲される凄まじさだけが残る。

https://filmarks.com/movies/21182/reviews/80541312
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