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噂の二人のzhenli13のレビュー・感想・評価

噂の二人(1961年製作の映画)
4.1
こちらも『クィア・シネマ』で取り上げられていた作品。随分昔に観てあまり印象が良くなく(というかオードリー・ヘプバーンもシャーリー・マクレーンもあまり好みでないというのもあり)、ヘイズ・コード下でもそれ以後も同性愛を負のものとして大衆に印象づけてきた表現のひとつであったとの近年の「反省」の言説を受け、あまり肯定的にはなれない作品だった。
しかし本書では、マクレーンの顛末ではなくヘプバーンの行動にフォーカスしそこに希望を見出すという視点でこの『噂の二人』が語られており、新鮮かつ意外だった。なので積極的に観直してみた。

「同性愛は罪」という概念が、物語の根底から覆されない事実としてずっとあり続ける。その噂を立てられる当事者となり、しかし自分自身をカテゴライズすることはなく、マクレーンの感情も否定することはなく、ひいてはマクレーンだけでなく異性愛者ではない人々を否定することもなく、まっすぐ前を見、たった独りで歩き去るヘプバーンが、その概念を覆した。そういう表現。
彼女の歩みを追い、周囲の人々の視線を意に介さないロングショット。そのあとに続く、微笑むでもなくしかし表情は柔らかな、アップで捉えられたヘプバーンが少し空を見上げている。泣いた。


本作の軸の一つは、噂の力だろう。事実でなくても、流言飛語により当事者が表を歩けなくなるような心理状態に追い込まれることは想像に難くないし、ましてホモフォビアが根強く「治療」の対象ともされていた(国によっては罪だった)時代なら尚更。
マクレーンは自分自身の名状しがたい感情を、噂によって「名付けられた」。名付けられることによって彼女の意識の俎上に上ってきた。それが本心であるのかは、おそらく本人にもわからないのではないか。「たしかに私はそうかもしれない」と、噂やデマを含めた他人の言葉によって刷り込まれることはあるのではないか。(レズビアンであると意識すること自体を否定するわけではない。と同時に性的指向は一生の中で同一であるとも限らない。)

マクレーンは名付けられることの不幸と、名付けられることで自分を縛ってしまう不幸の両方を背負う物語の犠牲者となってしまった。それに対し、ヘプバーンは名付けられても、自分が名付けられたという意識があるように見えない。自分を縛ってもいない。婚約者ジェームス・ガーナーとの関係には疑念をもちながらも、彼女は自身の性的指向を明らかにするよりマクレーンを大切にしたい気持ちの方が強いように見える。それが潰えても、ガーナーの元に留まることもしない。『クィア・シネマ』を読まなかったらこのヘプバーンの意思表示に気づけることはなかった。

ところで『噂の二人』の原題はThe Children's Hourとなっている。本作はウィリアム・ワイラーが1936年公開の『この三人』(These Three)をセルフリメイクしたとのこと。リメイクでタイトルを二人の女性と一人の男性ではなく「子どもたち」としたのはどういうことなのか。
リメイク元の作品(ミリアム・ホプキンスがマクレーンの役だったらしい。そのホプキンスが『噂の二人』ではマクレーンを困らせる無神経な叔母に配役されたことの妙よ…)を観てないのでそちらでどうだったかはわからないが、本作ではマクレーンとヘプバーンの経営する寄宿学校の生徒である、憎たらしさに満ちた顔芸を披露する子役が大人の出演者を喰い諸悪の根源のようになっている。
クローズアップの連続でこの子役の表情が捉えられ、ときに弱味を握った同級生を威圧する視線や、大人の見えないところで次の手を画策するかのようなアクションもみせる。徹底して悪役として演出される。自己顕示欲に溢れ、常に苛立っているか、誰かを罠に嵌めたり出し抜いたりしているかで一時も気が休まらない様子。本作ではマクレーンとヘプバーンを指してunnaturalという言葉が何度も出てくるが、この子役のほうがよほどunnatural、異常にみえる。

なぜこの子がこれほどまでに歪んだ性格なのかを語るものは無い。彼女にはどうも両親がいないらしく、富豪の祖母の庇護にある。生育環境によるものか、寄宿生活のストレスによるものか、もしくは生来の特性か。(と同時に彼女が脅迫する同級生の少女も、どうやら盗癖があるらしい。クレプトマニアはストレスによって引き起こされると言われる。)
この子の嘘が暴かれた瞬間、叫び声を上げる露悪的なアップののちに彼女が登場することはない。彼女はその後どんな反応をしたのだろう。どういう大人になるのだろう。

ひとつ、ミリアム・ホプキンス演ずる叔母は落ちぶれた元舞台役者のようで、マクレーンによると「小さいころから足を引っ張ってばかり」だったよう。マクレーンにも両親の影は見えず、この叔母に育てられたのか、もしくは養育者不在だったのかと想像される。ついでにヘプバーンの出自もわからない。つまりこの物語には父母が不在なのだ。
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