河

抜き射ち二挺拳銃の河のレビュー・感想・評価

抜き射ち二挺拳銃(1952年製作の映画)
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採掘者達を殺し採掘権を奪い他の人に売る強盗団がおり、保安官であるタイロン(ライトニング)は彼に早撃ちを指導した父親的存在であるダンを、ライトニングによって副保安官に任ぜられるルーク(シルバー・キッド)は父親を彼らに殺されている。タイロンは早撃ちが上手い(決闘が強い)ことによって権威を持っているが、強盗団の追跡中に肩を撃たれ利き手の人差し指が麻痺し、銃を素早く取り出せるが引き金を引けなくなってしまう。ダンが老眼によって早撃ちができなくなり他保安官から馬鹿にされているのと同様に、タイロンは実質的に弱者へと変わるが、麻痺していることを隠すことで権威を維持しようとする。さらに、オパールやタイロンから劇中指摘される通り、保安官としての判断力が危うく、自身が失った能力を補完するように容疑が晴れていないルークを早撃ちの能力を見て副保安官に任命し、強盗団のメンバーであるオパールの色仕掛けに引っかかってしまう。事件の解決よりも権威の維持や女性の獲得を優先しているように感じられる。多くの西部劇映画でヒロインとなるだろう女性が黒幕の一人であり、黒幕の正体、引き金を引けなくなっていることが序盤から明らかにされることによって、タイロンの危うさが観客に見せつけられ続ける。逆にこの仕掛けがなければプロットの凝った普通の西部劇になっているだろうことを考えれば、カウボーイであるタイロンの相対化こそがこの映画の狙いのように思える。ナレーションはタイロンの主観によるもので視点が彼におかれていることも、危うさを強調するための演出であると同時に、もしルークの視点から撮られていれば、判断力に欠ける上司に翻弄されながら父親の復讐を果たすという非常に直接的な物語になるため、視点をタイロンにおくことによって西部劇としての体裁を維持しているように感じる。テンプレ的西部劇であるように装いつつもカウボーイを相対化する映画になっているんだろうと思う。最後、タイロンがルークのキスを邪魔するようにドアを何度も開けるのは、ルークがタイロンとオパールがキスしている時にドアを開けたことの反復となっている。ここで、ルークが何度も二人の間に入っていたのはオパールを疑っていたからだが、タイロンはそれを自分の恋を揶揄う、邪魔するためにしていたと理解していることが明らかになる。事件は基本的にルークの咄嗟の判断によって解決に向かうが、タイロンは最後まで彼が生意気だがやる時はやる若者のような形でしか見ていないように感じられる。タイロンは劇中特に変化しない。この先、ダンのように全員が撃てないことを知っているのに撃てると言い張り続け、他から揶揄われる存在になるだろうことが示唆されている。原題はタイロンが銃を撃てないことが人々に明らかになりかける決闘を指しているように思うが、ルークが窓から飛び込んで二丁の拳銃を撃つショットが凄まじく良く、邦題はそのショットを売りにするために今のものになったんだろうと感じた。
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