河

殺し屋ネルソンの河のレビュー・感想・評価

殺し屋ネルソン(1957年製作の映画)
-
禁酒法が廃止されFBIが拡大したことで無法者の時代が終わる1933年が舞台。序盤、おそらく昔腕の立つ犯罪者だった主人公は刑務所で更生し恋人と普通の生活を送ろうとしているが、刑務所から出れたのはロックというギャングが自分の右腕にするために根回ししたからだったことが明らかになる。ロックは自身の所有する密造酒工場で労働者を搾取しており、工場でのストライキを防ぐために主導者を殺すことを主人公に依頼する。しかし、主人公はそれを断り銃も受け取らない。そもそもロックが主人公を刑務所から出せたのは警察官を買収していたからであり、ロックは買収した警察官を使って依頼を断った主人公に濡れ衣を着せ死刑にしようとする。そのために主人公は警察から逃亡することになり、それが更生していた主人公を「ベビーフェイスネルソン」という犯罪者へ変えることになる。主人公は背が低く子供のような顔(ベビーフェイス)をしており、コンプレックスとして抱えている。主人公は最初恋人に自分の元を去ることを望むが、恋人は主人公と常に行動を共にする。主人公は恋人と生き延びるため犯罪を重ね、そして段々と恋人を誘惑する男(医者)や体格の良い男(ロック、デリンジャー)への嫉妬から、一般人や仲間の犯罪者、子供すら殺すような人間へと変わっていく。ある種、主人公は犯罪者的人格に変化していくことでコンプレックスを乗り越えようとしているようにも見えるが、結果的にその変化によって恋人と主人公の間に距離が生まれ始める。「ネルソン」への変名は主人公の犯罪者への変化を象徴するが、それが恋人から結婚とともに渡された名前であること、「ベビーフェイス」がつくことによって、恋人の存在や劣等感が犯罪者としての人格に関わっていることが象徴される。主人公は例外的に自分同様に身長の低い男だけ殺さずに逃し、それがFBIに捕まる遠因となる。逃がされた男は、自分を逃した時に犯罪者の顔から普通の人間のような顔に変化したと話し、主人公の誰でも殺すようなネルソンとしての人格と、身長の低さをコンプレックスとして抱える元の人格が乖離していることが明示される。

主人公と対比される存在として体格の良い犯罪者然としたデリンジャーという呼び名の犯罪者が置かれているが、デリンジャーは西部劇でよく使われたカウボーイを象徴する銃であり、彼は『抜き打ち二挺拳銃』において典型的なカウボーイとしておかれていたタイロンと同じように色仕掛けに引っかかる。対して、主人公の恋人は主人公を最後まで裏切らない。ドン・シーゲルはカウボーイを無法者としておいており、犯罪者の誕生にカウボーイ像への同化を重ね合わせているように感じる。禁酒法が何度も言及されるのは、禁酒法下で酒の違法製造を行っていた人々が莫大な利益を得るようになりギャングへと変化したからだろう。主人公が犯罪者となる原因はギャングと警察の腐敗にあるが、警察の腐敗は警察がカウボーイに由来するとにある。そして、ギャングと警察の腐敗に対する力としてFBIの存在がおかれている。悪はいつか終わると最後に宣言されるが、その悪を辿れば制度、そしてアメリカという国の起源に辿り着く。さらに、アメリカの起源から過去へと悪を辿っていくことも可能である。

女性の視線を映し、そしてカメラを回転させて主人公を映す、視線とカメラの回転だけで女性と主人公の関係性を示すショットが凄まじく良く、これ見れただけで見てよかったと思った。
河