シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

泳ぐひとのシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

泳ぐひと(1968年製作の映画)
3.8
バート・ランカスターといえば、「ヴェラクルス」「OK牧場の決斗」など、押し出しが良く、自分自身に忠実な男を演じる印象がある。ブレない信念の男という感じ。「地上より永遠に」でも将校任官を頑として拒否する有能な下士官を演じていた。そして何より海パン姿でのデボラ・カーとのラブシーンが有名。
そんな男がまた海パン姿で帰ってきた!今度は友人知人宅のプール(そう、みんな金持ちなのである)伝いに帰宅しようとする奇人として!(笑)
まずプールで泳ぐでしょ?すると、次の家が隣にあるでしょ?またプールで泳ぐでしょ?そうするとそのうち自宅にたどり着けるって寸法、頭いいね!(笑)
……と、ちょっとおふざけで紹介した通り、設定はかなり奇妙な話ですが、ごく真面目な映画です。映画の味としては、「シックス・センス」「メメント」「ファイト・クラブ」とかに近い感じがあると思うんです。つまり、自分でも気付かなかった自分を徐々に発見していく、ある種の自己欺瞞を暴いていく話だと。だから、すごくザワザワとすると思います。心が落ち着かない感じの映画。例によって曲がらないバート・ランカスターのキャラクターが、この作品ではどこか一方的で、他人とのやり取りの噛み合わなさ、チグハグさを醸し出している。
初めは和気あいあいとしていた友人たちとの仲が、自宅に近づくにつれて、徐々に不穏なものになっていきます。これは巧みな設定ではないでしょうか?
つまり、近しい人間ほど、本当の自分をよく知っている。物理的にも、心理的にも、遠くにいる表面的な付き合いの人間では気付かない悪い面や近況が、知られているってことです。怖いなー、近所付き合い。いや、そもそも人間の付き合いが。そんな過程で、人を集めてバカ騒ぎをしているだけの上流階級の虚飾や空虚も描き出されていきます。
そもそも何でバート・ランカスターは海パン一丁なんでしょう?泳ぐにはそれが便利だから?それはそうでしょうが、地位や財産を剥ぎ取ったありのままの人間が海パン一丁で表されているのだと思います。財布も持ってないから、五十セントすら他人に借りなくてはいけない、そんな無一物の自分。そんな自分でも、友人たちは親しく付き合ってくれるのでしょうか?親しい友人付き合いというのは、全て上に着ている上等な服のお陰では?という暗喩が込められているのだと思いますね。
ラストシーンは大方の人が途中である程度、想像できると思いますが、ちょっと「猿の惑星」みたいなショッキング性があると思います。