シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

サイダーのように言葉が湧き上がるのシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

4.3
前から予告編を見て楽しみにしていました、初日と知り、早速観てきました。

俳句にのめり込みながらバーバルコミュニケーションに自信のない主人公チェリー、容姿は可愛いのに出っ歯が気になるヒロインのスマイル。本名呼びより、渾名というのが最初は気になりますが、慣れます(笑)
SNS時代の子どもたちにはその方が親しみやすさを表すのかも知れない、まあ我々だってTwitterで本名呼びする人は限られてますしね……?

地方都市のショッピングモールを舞台にすると、どうも文化資本的には乏しい少年たちの物語みたいな感じになりかねないですが、それを俳句の句作が救っている。で、アナログの俳句の一回性(俳句の本質は写生だから)とデジタルのSNSコミュニケーションの反復性が絡み合って、面白い味わいになっているんです。俳句は今、その場で見たものを詠むわけですが、SNSに乗っかるとその場面や文脈が剥ぎ取られた上で、いいねの対象になる。
そうすると、その「同じ情景を必ずしも見ていない事が」他人の気持ちに共感できるハードルを下げる訳です。
そういう共感のハードルが下がるという体験があるから、老人デイケアで余生をかこつ老爺の大昔の恋の思い出にまつわる探索に主人公とヒロインは乗り出す気持ちになれるんじゃないかな。ある意味では恋というのにも似た部分がある。共感のハードルを下げて、相手に共感する事が恋を成功に導くのではないか。

「夕暮れのフライングめく夏灯」

いやこの俳句は本当に良いんですよね。フライングめくというのはまだ明るいのに、灯りが点いたということを言ってるんでしょう。夏の情景あるあるですよね。でも何か深いことを意味しているようでもある、まだ夜になってほしくない、まだ帰りたくない、君ともう少し一緒にいたい、そんな気持ちが裏にあるのかも知れませんね。

この作品の世代間の描き方にも言及しておきたい。主人公は老人のデイケアサービスのバイトをしており、老人の描かれ方には美化があまりない。見た目は老醜に衰え、反応が鈍く、未来よりも過去に生きている。結構、現実そのままに描いてますから、俳句=写生的です。だから老人との交流もあまりベタベタと描かない。だって住んでる世界が違うからね。でも、少しだけ触れ合う事がある。別の時代に生きる人であっても、かつては若者であり、同じ人間だから。若者に向かって大袈裟な人生の教訓を垂れたりしない老人たち。言うべきは十七文字で簡潔に伝える。このベタベタしない距離感がいいのです。

そして、「やまざくら」がいいですねえ。確かに山桜にそういう意味があるというのは聞いたことがある。しかしそれは通常悪口の類だから、この作品のようにそれが積極的、肯定的な意味で使われるというのは普通はあり得なくて、驚きと価値観の転倒を生む。最後のやまざくらの句の連呼、連呼、連呼。不器用な連呼が、高校生の若い恋を写生する。写生する俳句を詠む姿を写生すると、そこに若い恋が見えてくる。好きだという言葉を形を変えて、何度も何度も繰り返したい。その気持ちはハードルを無理に下げなくても、ちゃんと共感できるのだ。