茶一郎

恐怖の報酬の茶一郎のレビュー・感想・評価

恐怖の報酬(1953年製作の映画)
4.4
 「サスペンスとは何たるか」を突き詰めていくと結局、ヒッチコックか今作『恐怖の報酬』に行き着いてしまうのも仕方ないなと思うほど、この『恐怖の報酬』には肝を冷やされました。

 純粋な「サスペンス」は、CGや大掛かりな舞台装置なくとも、その語源「suspence=宙吊り状態」の通り、最後の結果まで観客を宙吊りにして手に汗握らせます。もっとも、物語全体を見ると今作の「宙吊り状態」は「間近にある死までの宙吊り」であり、それは少しの刺激を与えると爆発してしまうニトログリセリンを緩衝剤無しの大型トラックで500キロ先まで輸送するという今作の背骨に相当します。

 加えて、『恐怖の報酬』が冷や汗モノなのは、その死のトラック輸送の道中で畳みかけるようにミニマムなサスペンス場面を映画的に広大な映像として見せてくるからです。時速60 kmの猛スピードで駆け抜けなければ荷台のニトログリセリンが揺れてしまう恐怖の凸凹道から始まり、崖道のヘアピンカーブを曲がるための木組みの板が腐っている、しかもその腐った板の上でスリップ……などなど、単体では一見地味にも見えかねないシーンをクローズアップと編集だけで、こんなにも壮大に見せるのです。

 また、とりわけ際立つのは今作の二部構造。この『恐怖の報酬』はニトログリセリン運搬まで、人物描写や背景描写に1時間もの時間をかけます。冒頭、画面に大きく映るゴキブリでサソリを釣る裸の子供たちや、インフラ整備が行き届いていないベネズエラの街の様子、何より現地の恋人のヒモとしてその日暮らしをしている主人公マリオの描写。マリオは祖国フランス・パリを追われた人物として移民、その彼は同様にフランスを追われたジョーとある種ホモソーシャル的な舎弟関係を築いていくという描写です。もう一度、祖国に戻ることを夢見ながら「恐怖の報酬」(実に成功報酬2000ドル)の仕事に手を出す、そして映画はサスペンスに突入するという、まるでリアル版『賭博黙示録カイジ』のような展開でした。
 かのアンドレ・バザンは、今作の監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの作風を「イタリアのネオレアリズモとアメリカの伝統的演出との融合」と表現したようですが、単純化すると、ネオレアリズモ=1部、アメリカ的サスペンス=2部とこの映画を表しているようです。

 死の運搬の道中、マリオとジョーの舎弟関係は恐怖により逆転、果たして彼らは目的地に無事、ニトログリセリンを届けることができるのか。暑そうなベネズエラの熱気と彼らの感じる「荷台にある『死』までの宙吊り」の恐怖は画面を超え観客に伝わる、まさにこの『恐怖の報酬』という映画体験が、衝撃の結末まで観客を宙づりにし続ける「サスペンス」映画そのものであります。
茶一郎

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