茶一郎

素晴らしき日曜日の茶一郎のレビュー・感想・評価

素晴らしき日曜日(1947年製作の映画)
3.9
 黒澤明監督の戦後四部作の内、最初の一本。今作『素晴らしき日曜日』は、ある日曜日を二月の東京で過ごす貧しいカップル・雄造と昌子のやり取りを描きながら、同時に戦後間もない日本の悲痛な現実を映し、その現実で生きる日本人の希望を描く作品になります。

 今作の製作当時、GHQによる戦後日本の民主化推進のため各企業に労働組合が配置され、加えて共産党員がそのリーダーになりました。もちろん映画会社もその影響を受け、黒澤監督が関与していた東宝は労働組合の闘争により映画製作を続けることができなくなった。その抗争は、組合に対抗するためスターを引き抜いた「新東宝」と、残った「東宝」との争いに発展し……というのが、いわゆる「東宝争議」。
 その中で黒澤監督含めた「東宝」はスター主義の「新東宝」に負けじと、何と一人で三作品の脚本を書くという英雄っぷり。結果的に監督主義の「東宝」が批評的に大勝利を収めたという結末は、ご存知の通りであります。
 そのような東宝争議の最中に製作された今作『素晴らしき日曜日』は、戦後一作目として黒澤監督が撮った『わが青春に悔いなし』のような戦中を回顧する作品とは異なり、荒れ果てた戦後の大地をもう一度見据え、未来の希望を想像しようという作品であり、戦後四部作は同様のモチーフが続くことになります。
 同時期に日本と同じく敗戦国であるイタリアの映画界でネオリアリズム作品が登場しますが、今作も同じく戦後焦土と化した自国を生々しくフィルムに焼きつけるという映画行為が、今作と重なるようにも思います。

 さて『素晴らしき日曜日』、その物語は休暇の日曜日を僅か35円(当時の貨幣価値)で過ごそうとするカップルの貧乏デートをコミカルに描くものが軸になります。
 特にカップルの男・雄造が「復員軍人」であるという設定は、同じく戦後四部作の『静かなる決闘』の藤崎、『野良犬』の村上と重なるものでありました。
 
 貧乏カップルらしく到底手が届かないモデルハウスを見て回ったり、と『(365)日のサマー』を想起させる微笑ましさが溢れますが、特筆すべきはクライマックス、「未完成交響曲」についての伝説的な二人だけの演奏会のシーンです。
 ここでは、いわゆる「第四の壁」を破るという『アニーホール』、『フェリスはある朝突然に』、最近では『デッドプール』同様の突飛な演出が施されています。驚くべきプリキュアシリーズの劇場版と同じ演出、黒澤監督は映画のライブ性を活かし観客に拍手を求めるのです。
 映画の中の登場人物と同じく、現実の戦後の焼け野原を見た観客は否応なく共感し、同時に観客同士でお互いを応援するような構図、ラストは凄まじく美しいものです。

 今作は、登場人物たちが想像力と夢とで持って悲痛な現実を打ち負かす様子を映しました。何より、これこそ想像力と夢で作られている「映画」の真の役割を表しているように思います。
茶一郎

茶一郎