かなり悪いオヤジ

私は二歳のかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

私は二歳(1962年製作の映画)
3.5
赤ちゃんの身体に大人の感情が宿ってしまうディズニー映画『ボス・ベイビー』のようなコメディなのかなと思いきや。市川崑&和田夏十夫妻が、育児指南書としていまだに読み継がれているベストセラー『私は二歳』(松田道夫著)をベースに大胆な脚色を加えた一本だ。団地住まいの舩越英二と山本富士子夫婦から産まれた主人公“たーちゃん”役の赤ちゃんは、(劇中にも登場する)森永乳業とのタイアップ全国キャンペーンにて公募で選ばれたという。

そのたーちゃんの気持ちを代弁したナレーションを中村メイコが担当しているのだが、本作はむしろたーちゃんの一挙手一投足に右往左往する周囲の大人たちのあたふたぶりを(皮肉をこめて)描いている。1962年の公開当時、邦画のアスペクト比はすでにスコープサイズが主流になっていたそうだが、この映画はあえてスタンダードサイズで撮られている。市川は、引きで撮った時のバランスと、子供の自然な姿を撮るのに都合が良かったと説明している。

が、市川崑のカメラはいくらなんでも寄りすぎである。舩越や山本はもちろん、汗だくで赤ちゃんを産湯に浸ける姉役の渡辺美佐子、有志による団地育児所設置を計画する岸田今日子の顔面まで鬼のような至近ショットの連発なのだ。あまりにも寄りすぎたため、俳優の顔の上下がスクリーンからはみ出てしまうほど。長女役京塚昌子のまるで大仏のような巨大な背中と尻を画面一杯に映し出した構図には、なにかしら悪意ともとれる別の意図を感じたのである。

ヨチヨチ歩きのたーちゃんが急な階段を一人でのぽったり、ベランダの手摺が突然もげて隣棟の子供が落下したり、ビニール袋を頭からかぶって窒息しかけたり、はしかや喘息にかかってせきがとまらなくなったり、動物園で目を離しているすきに迷子になったり.....時代が今なら警察をとおりこして訴訟沙汰になったとしてもおかしくない事件が次々とたーちゃんに襲いかかるのである。そのたびにこの世の終わりのような顔をしてあわてふためく大人たち。

私事で誠に恐縮ではあるが、超放任主義だった自分の母親は、赤ちゃんである私を砂浜に2時間放置したために海小屋のおじさんに厳重注意されたほどで、私自身この映画に出てくる過保護な親たちには全く共感できなかったのである。ちなみに、脚本を担当した市川の奥様和田夏十も、赤ちゃんの添い寝には反対でベッドに一人寝させ自立心を養ったという。なにが言いたいのかというと、赤ちゃんの世話にばかり神経を使いすぎて視野が極端に狭くなった大人たちを描くためのスタンダードサイズ&超クローズアップではなかったのかと思うのである。

折しも戦後のベビーブームにより、2年後の東京オリンピック時には9,700万人ぐらいまで日本の人口がふくれあがっていたはずで、「人口過密」が徐々に社会問題化しつつあったのである。そんな時、たーちゃんを猫っかわいがりしていたばーちゃん(浦部粂子)があっけなくこの世を去ってしまう。家族が一人減った時、山本は舩越に「(±0で)もう一人子供がほしい」ことを打ち明けるのである。子供に飯も与えないネグレクトは問題外としても、過干渉(人口過剰)にも程があることをこの映画は我々日本人に伝えようとしたのではないだろうか。