ニトー

サイレント・ボイス/愛を虹にのせてのニトーのレビュー・感想・評価

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志は高貴かもしれませんが、 映画としてはどうか、という問いが(いうまでもありませんが、これ映画なので)。カットのつなぎが不自然なところもあったりするし。

極めてポリティカルなネタではありますが、それを誘引するためのサスペンスがあるわけではなく、基本的にはエモーショナルな場面のみで繋げていく映画ですが、ポリティカルな題材でそれを扱うのはむしろ危険な気がするんですけど。そこにエルマー・バーンスタインの勇壮なスコアがかかるという猪突猛進ぶり。

描かれるべきディテールが描かれないために妄想じみたファンタジーとしてしか見れないのが痛い。
チャックやその周りの人の動向は描かれるものの、具体的にどうやって核兵器の撤廃に至ったのかが描かれない。表面的には米ソのトップが会談するシーンはあるんだけど、そこで政治的な交渉が描かれるわけではないし。結果だけ提示されても納得はできまい。

ほかにも、素人でも考えられる問題は山積み。どうやって既存の核兵器を処理するのかとか。89年の時点でアメリカが保有していた核ミサイル(あくまでミサイルなので弾頭自体はもっと多い)の数は1815でソ連は2794もあったというのに。07年にはそれぞれ982、760と、87年のINF全廃条約の発効などもあってかなり減少してはいましたけれど。まあ、INF全廃条約も弾頭そのものは廃棄対象外で弾頭数は減らなかったし、解除されたのも10%に満たないという体たらくではあったけど。

ただ、60年代から核軍縮の機運自体はあったし、INF全廃条約とSTARTⅠの交渉開始が81年82年だったこともあるから、その辺の動向を受けて極めて楽観的にこの映画を作ったという解釈をすれば、その希望的観測(というかほとんど願望)に寄りかかる気持ちはわかる。
題材としては、悲しいことに30年たった今でも古びていないだけに。

というか今はもっと各地の内戦とか、わかりやすい二項対立じゃない紛争こそがメインになっている分、悪化しているとすらいえるんだけれど。
 

現実的に考えるとジェフリーの役どころはむしろ大統領が担うべきであると思うんですが、登場から最後まで大統領が良い人として描かれているあたり、年代的にもレーガンに対する当てつけみたいなところもあるんだろうか。イラン・コントラ事件とか発覚した時期だろうし。あて推量でしかありませんが。
まあそこはグレゴリー・ペックですから、ある種の独善を含んでいるというか無邪気な「アメリカの正義」の体現として見ることもできなくはない。というよりは、「フォックス・キャッチャー」におけるマーク・ラファロ的というか。悍ましいのは、監督はそういうつもりで描いてはいないのだろうな、というところ。
ソ連の書記長を演じたバシェクの体形とかもちょっとゴルバチョフっぽいし、やっぱり意識してたんだろうか。


チャックももうちょっと丁寧に扱ってあげればいいのにと思わないでもない。いや、個人的にはチャックのあの恐怖はわかるすぎるくらいにわかるのだけれど、それは「はだしのゲン」を読んだりメディアに煽られた恐怖ゆえなので、直に核を見ただけでああなるのかどうか(爆発の瞬間を見せたとかではなく)。父親がパイロットだし、わからなくもないのかな。
あるいは、その程度のことですら恐怖を感じるくらいに感受性が高かったからこそのあの行動、ともとれはしますが。

ていうか、そもそまサイロを見学できるもんなんですかね? さすが自由の国アメリカ、グラスノスチごときで粋がるソ連などとは大違いです。

チャックに対してみんな結構辛辣というか、無責任すぎるでしょ。アメージンググレースにしたって、あれって見方によっちゃチャックに全部責任を押し付けてるだけとも言えますよ。ていうか、チャックの名前出してバスケを引退したら絶対ファンからカミソリレターもらうでしょ、チャック。

どうでもいいけどアメージングを暗殺するのにわざわざセスナ(だっけ?)爆発させるのは笑った。あそこの勢いは、「なんでそんな金かけて殺すの」的な倒錯っぷりと勢いがサウスパークじみていて。別に暗殺するにしたって、自動車事故なりなんなりできるでしょうに。空で爆殺は確かに確実ですけども。

 

でもまあ、最初から最後までやさしい世界の話ではあるので、そういうディティールとか無視できる人は( ;∀;)イイハナシダナーと楽しめるのではないでしょうか。

私個人としてはイイハナシカナー?ですが。
ニトー

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