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血と海のotomisanのレビュー・感想・評価

血と海(1965年製作の映画)
3.9
 和泉雅子の血の海じゃと?じじいの心臓もヌォーっとおどりだそうというもんじゃ。と、まあこんな感じ。出演最高齢の東野英治郎、実は58でオレより若い紋造じい。いとこで海女頭のトマばあさんが急におっ死んで、海女舟を孫の太郎に預けて無役となっちまっては浜の肥やしにもならない、と思ったら . . .
 ところがナミ、ばあさんの孫で太郎の許嫁のサキの妹、色がクロぉなるとか抜かして海女をぶん投げて真珠工場なんぞに行っちまったが、いきなりバカッ派手な格好でぴっちぴち海女撮り放題撮影会をレジャーに目覚めた町場の助兵衛連相手におっぱじめるというのでこりゃ老け込んでもいられない?

 エロ娘とエロ爺の重唱に気を持たせる終わりが滅法明るい。同時に板子一枚下は地獄というのが漁師の世界でそれなら海女たちは毎日が地獄巡りで、こんな稼業で頼りになるのは相棒同士。だから、浜の血もめっぽう濃い。血が濃ければ情も濃いと来てあちらこちらの出先で男どもは種まきに及んでしまいそいつが後々「血の祟り」になって返ってくる。これがあの明るさの裏地というところだ。

 浜のみんながえらいのはそんな祟りを妙な感じに包み込んで暮らしている辺りだ。といってもそれも方々綻びだらけ、上辺はしゃあしゃあと過ごしていても事ある度にクヨクヨ悔やむ。当の祟りの子サキは見ていてヒヤヒヤもので、今ならどんな「大炎上」になるだろう。
 それでも、集団レイプ事件だろうが日々のチマチマしたいじめだろうが何となくうやむやに過ぎてゆく。警察沙汰の代わりに臍下に灸を据え「子種封じ」してお終いという、べらぼうじゃないか。
 ただ、あちらにだらしない人間はいつかどこかで命取りの間違いを起こす。それも巡る因果、祟りというやつだ。サキに降りかかった親の因果、祟りってやつもあの一件でヤツ等が引き受けてくれたんなら、サキにはこの先いい事、ヤツ等の一党でもある太郎と夫婦んなるなんて、あるかもしれない?ん、それでエエんか?こいつもべらぼうな考えでねえか?

 ところで、ヤツ等をしょっ引いて海人ムラの社会の亀裂を露わにするのと、運命はヤツ等の今後次第と神様(?)に委ねるのとどっちがいい?
 ムラの青年部が高唱する新生活運動のように、この「共にみな相棒社会」が曲がり角に来てるのは確かで、この人類学的、社会学的、ドラマチック・ルポルタージュは一見無干渉気に事を見過ごすのだ。
 和泉雅子の血の海とは、あの舟大工小屋ごとヤツ等を焼き殺すてな道もありゃあしないか?という事で、監督自身が示唆する道でもある。そのほうが話の持って来ようでよっぽどカネになる成り行きってもんだろう?
 しかし、それがあっちゃならないのがこの社会の「ともに相棒、死ぬまで、自然に。あくまで『自然に』」である。そのときは「海のオヤジさん」が始末してくれるという白紙委任だ。

 べらぼうな、と言えば、密漁船の取り締まりだって、工業化のあおりを食らって密漁に駆られてしまう尾張漁師の年寄連の食い詰め振りにどことなく同情的なのか?詫びのひとつも受けたのか被害を貰いっ放しなのか、黒白をつけないままという。尾張が食えなきゃ志摩だって食えない相見互いてぇのか。
 しかし食えないなりに漁業のふりをして観光客相手の商売に乗り換える、ナミの撮り放題というのも生きる道には違いない。こいつが昔ながらの地獄に乗り出すド性っ骨、濃い血も祟りも飲み込む勢いで身体を張って高笑いで生きてこうぜみたいな調子がいかにも映画っぽい。

 これらが文学であるとして、どこまで口承の歴史であるのか知れないが、この陰惨すれすれ、あわや貧乏を笑い飛ばすような勢いは映画の力、ただし、こうして眺め過ごしてどんな誤解を飲み込んでいるのだろう。今日びの人間はこいつのせいできっとストレス満載、でも口を開いて炎上口撃するのも半世紀前の素材相手では大人気なくも感じよう。
 だが、その通り。課題満載な「共にみな相棒社会」がついに立ち止まり、生きる道を都会への出稼ぎ、更には移住し都会人に紛れるか、それともこの地で都会経済の観光部門に組み込まれるか、それなら自主企画で他資本との厳しい提携あるいは対立の鍔競り合いに挑むのかの瀬戸際が目の前に現れている。
 Uターンした詐欺師もどきの下条=迫間氏が持ちかける開発話だって、話だけならあながち間違いではなく響くだろう。
 だから、ささやかながら、ナミのエロ娘路線もバカ話のようでいて妙に明るく見え、他方暗くも感じる、と、それはのちの半世紀を見渡してきたこちらの言い分に過ぎないが。ただ、オリンピックも成し遂げた、ドイツの背中も射程に収めた、世界が日本(製品)を待っている事が朧げに知れた時代にあって、何故か衰退に向かう我がムラを放って置けない者の若い放埓な姿がここにあるのだ。

 食っていくためのムラの社会が、これからを食っていくために変わろうとしている。古い世代のトマばあさんが眠る高台からの眺めがどう変わるか都会から来た監督は察しているだろうが、その良くも悪くももまた想像がつくところに違いない。差し当たりサキの事が片付くのを慰めに捧げられるだろう。
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