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山河ありのotomisanのレビュー・感想・評価

山河あり(1962年製作の映画)
4.0
 「国破れて山河あり」杜甫は続けて家族と離別する辛さに何の慰めがあろうか、と語る。
 大正期、高峰の生国日本は夫・髙廣と暮らす事に寛容でなく、ならばとふたり移住したハワイで刻苦の20年、日本は今また大陸進出で米国と紛糾し、おかげで祖国を奉じる夫とその日本の非を問う長男とはすれ違いが深い。そんな二人のいさかいの末、夫は心疾患で急死し息子はその死の後押しとなってしまう。祖国は何のために高峰を生んだのか?

 そんな開戦直前、亡夫の遺骨に祖国を拝まそうと次男を伴い帰国すれば日米間の関係悪化でもう再渡航は叶わず、開戦後、母子は敵国人として逼塞と抑留を強いられる。さらに終戦を目前に次男は衰弱死、友人・桂樹の息子に見舞われた時、告げられたのは長男の結婚と従軍そして戦死、桂樹の妻の開戦の日の戦災死であった。

 日本と戦争とを巡って4人が死んで4人が生き延び、長男の息子が一人産まれて死を克服した勘定だが、あの夫の死を境に生き別れた家族が互いの辛苦と死を知ることなく虚しく相手の無事を祈るばかりとなってしまった。
 2年も過ぎて果たした長男の墓参がただよそよそしいばかりでいたたまれず立ち去る墓列の中、無名氏の墓に目が留まる。その人にも親があり妻子があったかも知れないが、この死を誰にも気づかれず、いま自分だけが傍らを通り過ぎてゆく。
 だが名を知られ、墓参の人を集めようがそれが何になるだろう。あの日戦争が始まらなければあの4人がどうして死ぬ謂れがあったろう。祖国日本はこんな思いを呉れるために高峰を生んだのか?ならば、この敗戦はその思いを語るために配された祖国からの申し訳かも知れない。
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