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汚点
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『汚点』に投稿された感想・評価

すえ
4.2
記録

【ピアノーヴォvol.2】シネ・ヌーヴォで、学士の鳥飼りょうさんの演奏とともに。

ロイス・ウェバーが社会派と称される理由がよく分かる。彼女がそう評価される所以は映画の方法論に拠るものではなく、取り扱う主題に拠る。モンタージュは知的モンタージュのような弁証法的なものではなく、比較的平易で、感覚的なものである(反知性主義という言葉は些か過剰か)。編集は至ってシンプルであり、滑らかな繋がりがある。つまるところ、彼女の社会派たる所以は画面や方法にあるのではなく、主題に存在し、娯楽映画の上に社会性が乗っかっているという感じを受けた。

また、被写体の視線の扱いが格別に巧みである。視線劇によって創出される画面外空間、それだけでなく画面の奥行を上手く生かした画面内空間に至るまで、とかく高い空間性を有している。会話の際は、肩越しの切り返しショットを使用していないため、平面的な印象を孕む可能性が高いが、それを巧みな視線劇で回避している。3人以上の会話の美しさ、徹底的な視線劇が展開されている。

その自然な視線劇や瀟洒な演出は、後に人気を博すロマンティック・コメディに通ずるところがあるのではないかと予想する。本作はそこまでコメディに寄っているわけではないが、細かな演出が笑いを誘う。敢えて名前をつけるなら社会派メロドラマといったところか。

格好をつけるために食用油(ガチョウの油?)を塗った革靴を舐める猫、この演出はハロルド・ロイドの『豪勇ロイド』でも見られた。当時のアメリカ社会では流行していたのだろうか…

経済的貧困のプロレタリアと精神的貧困のブルジョワ、資本主義社会の構図が両者の交流によってある程度融和する。同時代の映画人はやはりプロレタリア的な感覚を持ち得、それを映画に導入したことによって、映画が人気を獲得したところもあるだろう。階級を闘わせるのではなく融和させる、そこに民主主義の精神を読み取れる。

ヒロイン(アメリア)だけに起こる激しいサスペンスと心理的コンフリクト、我々はその行く末を見守ることしか出来ない。その効果は絶大。

またさらに演技も素晴らしく、アメリアの母の表情の繊細さだけではなく、アメリアの母が鶏肉を盗んだことをオルセン夫人(隣家の奥さん)に謝罪するシークェンスの夫人の表情!このシークェンスに至るまでずっと厭らしい顔面をしていたが、ここでついに優しさに満ちた表情に変容する。
ここを見て、ロイス・ウェバーは冷静に社会を俯瞰する人間であると同時に、ヒューマニストでもあるのだなと感じた。

94分と少し長いが、これだけの題材をよく纏めた繊細な映画である。ラスト・ショットは、チャップリンを想起させる悲哀に満ちている。

ロイス・ウェバーはやはり凄い監督である。

2024,274本目(劇場165本目)10/30 シネ・ヌーヴォ
✔『汚点』(3.9p)及び『ポルチシの唖娘』(3.7p)▶️▶️

 作品がどんどん発見され·補修されての大回顧展にいつか、遭遇する幸せを得たいと願う映画史上でも、特別な位置にある、巨匠(1910年代半ばから20年初頭の映画が一気に成熟の様相を見せて最も輝きを放ってただろう時代の、グリフィス·フィヤード·ジェニーナ·スティルレルらと並び得る代表的作家)。
 『汚点』は、「男とは、背が高くなった(所詮)少年」の字幕で始まり、それに相当する大学で気儘な生活を送っている3学生のグループが紹介されるが、その絡みは脇の位置にあり続け、以降もメインとなるべきが裏切られ続け·定形外·予想外の展開が続く。しかし、それはより現実の手応えある幸せに近く、見る側も本当の望みに気づかれる。理事長の息子のフィルの、恩師で貧しい大学教授の娘の、美しい図書館職員への、邪まな?恋が取り上げられてくる。彼には相応な遊び友達で慕っている女学生がおり、彼女には秘かに彼女を純粋に恋する、父と知己の貧しい牧師、隣家の靴屋成金で特に敵意を剥き出しにしている母に反発·彼女に焦れてる息子の、存在がより聖的にもある。ところが、フィルは彼女の家に強引·無礼に出入りしてるうちに、牧師と純粋な奥が触れ合い高め合う親友となり、彼女の家の経済的苦境、同時にそれ以上の女たち(母も。娘は体を壊す)の苦しみ·引けめを知り、心を痛めプライドを傷つけないように助力してゆく。つまり、彼は少年から成長し脱却するのだ。皆に「最近変わったわね」と言われ、普通のドラマなら逆転勝者の恋仇ともなるべき者からも、「彼女も彼に任せられるなら、心配はない」と納得の独り言を呟かれる。恋の争いはなく、自然な流れが生まれ、彼は理事長の父のにも、「学生らの数も増えてるのに、国の大きな根幹の教育や精神を豊かにしてる、教授や牧師の報酬が少ないのはおかしい。国の汚点だ」と訴え、改善に動く。周囲の様々なキャラクターは、通常の波乱や壁を作るところから、逆に進み、他人の痛みを共有してく。彼に付き纏ってた女学生は、彼が慕う娘に本を借りるふりして会い、「真の淑女」と認め、身をひく。それらの全体の柔らかみ·温かみの自然発生を、教授婦人が飼ってて、餌に苦労してるが、何か自由にすり抜けてる、猫たちの気儘な奔放さの、ドラマと奇跡的にマッチ·引き揚げる動きが先取り·誘導でもしてる感。
 そして、言うまでもなく、この作家のタッチの捌き·選択·秤りは、現在に至るも、最高レベル、気取りはないが特別の存在であり続けてる。1/3位をを人物紹介の写真に充てた中間字幕、という他作でも用いてる手法を使い、車や人の動きのフォロー移動らや、アイリス的人物の周り囲みアップらはあるが、カット積み押えが驚くべき正確さと細かさで繋がれ紡がれてく。大学の講義の後方よりの縦め退き全図と、正面からの教授と·切り返してのメイン学生の各とその都度の相互関連で角度変え。対照的な隣家同士の間の塀や夫々の窓、玄関階段(に座っての)からの視界·視線の感得を通しての、サイズやアングルの夫々と間の力関係取り。2人の全の椅子トゥショットと各ズラし対応、その脚で穴の空いたまま絨毯アップ入れらの組立。そういった中で、本来思い上がり者として消えてゆくべきボンボンは、様々な人と環境に嵌り、またその流れで想いや世界を広げてゆき、本来メロドラマの主人公として逆転する筈の、貧しい根っからの善良な者らは、存在以上の生まれ育ってゆく関係性と豊かな可能性の方に、寧ろ喜んで身を引く。
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 『ポルチシ~』もまた、『毒流』と同じで短縮版では比較的多くの人が目にしてると思うが、まだ完全ではないかもしれないがこれ程の雄大な作品は映画史上でも稀であるは確かだろう。ロケ·セット·美術·衣装·群衆の壮大さと、それを捉えるカメラの縦図·小角度変·ドンデン·切返し、仰角や(真)俯瞰やアップらの決してカッティング主体に急がないみすえ。パンやティルト·前後や横への厳か移動·らはこの時期のこの作家の才気あからさまと違い控えめに的確·重厚。ヒロインの歴史的バレリーナの体技の激しく優美でオフリミット(初終の闇or雲か黒煙の循環のバックでのバレエには吊りも使ってる)、生首(人形)建て·血と汚れの屍体普通の·数とアクションと狂気の戦闘と殺戮の際限ない空間と時間の占拠続き、の狂いそうになる疾走感。優勢立場の逆転は、内実まで混濁させてゆく。あまり観た事なくて言うのもだが、このスペースで点数評価を見る限り最高位のMARVELからの作等、粉々に砕き·無化する力がある。
 17世紀スペイン総督~貴族~軍の統治の圧政·腐敗下の、イタリア群衆の反乱·革命に、反乱側の元々漁師の王となる者の唖の妹と総督子息の恋情、又王自身の敵の毒盛りによる狂人化が絡む。「貴族の血が聖か試してやる」「間違うな、これは自由の闘いで放埒のそれではない」「(劣勢となったからには)相手の体でなく、心を殺してやる」
製作はウェバー自身のプロダクション、監督・脚本もウェバーと、ここまで活躍した人がいたのかと驚く

時代が違えば自己検閲で世に出てなかったかもしれないと思うとさらに貴重に思える

特にアメリアの母の惨めさに打ちのめされたような演技はすばらしかった