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私の殺した男のHKのレビュー・感想・評価

私の殺した男(1932年製作の映画)
3.6
タイトルとジャケ写から、可愛い顔して男を毒牙にかけるファム・ファタールのクライム・サスペンスに見えますが、ぜんっぜん違いました。
そのせいかどうかは知りませんが、原題の“The Man I Killed”というタイトルがある時期から“Broken Lullaby”(壊れた子守唄)に変わっているようです。これはこれで意味がよくわかりませんけど。

で、本作がどんな話かというと、第一次大戦の戦場で一人のドイツ兵を殺したフランス兵が、終戦後に罪の意識に耐えかね、そのドイツ兵の家族に赦しを乞いに行く話。
ファム・ファタールの話でもクライム・サスペンスでもありませんでした。
でも息子を殺された家族が、息子を殺した元敵兵にどう接するかが十分サスペンス。
そして優れた反戦映画でした。

でも自分が耐えられないから、相手の家族の赦しが欲しいという考え方はどうなのか。
真実を話せば自分はラクになるかもしれないが、相手の気持ちは?
赦せるはずのないことも、言葉で赦すと言ってもらえば自分の気がすむのか?
どうもこのキリスト教的な赦す赦さないという考えに私は馴染めませんが、本作の主人公もいざとなると真実を切り出せず苦悩することになります。

「学校でフランス人は独語を、ドイツ人は仏語を学ぶのに、まさか大人になったら殺し合うようになるとは」
「我々父親が息子に銃を持たせて戦場に送り出し、戦果を聞くたびドイツ人はビールで、フランス人はワインで祝杯をあげる。双方の若者が数千人単位で死んでいってるのに」
印象深いセリフが次々に出てきます。
そして、やはり男性より女性の方が生命力あり。

戦争を憎んで人を憎まず、でもその戦争は人が起こしています。
そして、本作公開の7年後には第二次大戦が勃発し、またもフランスとドイツは敵同士に。
監督は、『生きるべきか死ぬべきか』などコメディの印象が強いエルンスト・ルビッチ。

本作は『西部戦線異状なし』(1930)などと同じく、第一大戦と第二次大戦の間に作られた反戦映画であることから、人は過ちを繰り返すということが痛切に伝わってきます。
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