アニマル泉

次郎長三国志 第八部 海道一の暴れん坊のアニマル泉のレビュー・感想・評価

5.0
タイトル順が森繁久彌が初めてトップ、次いで小堀明夫、越路吹雪だ。森繁久彌の至芸、マキノ雅弘の隙無し完璧な演出を堪能出来る傑作である。冒頭、富士山バックの美しい実景が重なる。清水港は次郎長一家の兇状旅が解けて晴れてお蝶と豚松の法事が行われるとあって続々と人々が集まっている。近江の大親分、見受山鎌太郎(志村喬)が現れる。次郎長一家では次郎長の愛刀を四国の金比羅様に納める使いに石松が選ばれて大騒ぎだ。このくだりを次郎長を出さずに、一家の速いセリフと芝居、的確なグループショットの切返しでエネルギッシュに見せるマキノ節が最高だ。続いてのお蝶と豚松の法事、大人数の場面の捌き方がまた見事だ。志村喬の芝居場が素晴らしい。豚松の許嫁のお静(北川町子)が丸髷に結ってきたことを志村が褒めるのが泣かせる。そして石松の旅立ちは歌だ。見送られる石松と皆んなが歌いながらミュージカル仕立てで船が出港する。
金毘羅様への道中、石松は小政(水島道太郎)と意気投合する。夜の小川の行水の場面が印象的だ。本作は「水」が主題だ。斬り合いになって藤の花がハラリと落ちてくる。小政が恋人のお藤の話をする。粋な演出である。他にも要所要所で水溜りに花びらが流れる。
金毘羅様の色街。マキノは女たちの描写が素晴らしい。支度する女郎たちを容赦なく描く。化粧を急ぐ女、暑くて股ぐらをうちわで扇ぐ女、むせるような女たちの活力にたじたじとなる。石松は遂に濡れた目の女郎・夕顔(川合玉江)と運命の出会いを果たす。そして夜の風呂。石松の純朴さが可笑しい。ここでも「水」だ。本シリーズで石松がお仲に一目惚れしたのも夜の風呂だった。この場面は夕顔の湯屋支度の所作が色気たっぷりだ。マキノが口立てで演出したのに違いないが、どうだろうこの色気!着物を脱ぐわけではなく色気を充満させる神技だ。いまこんな演出が出来る監督は皆無である。翌朝、女郎たちが大喜びする石松の猿芸は森繁の至芸だ。旅立つ石松と夕顔の別れ、見つめ合わないで女が外すのがマキノ節だ。帰りの道中で石松は近江の鎌太郎(志村喬)を訪ねる。この場面、夕顔の文を鎌太郎、娘のおみの(青山京子)が回し読む芝居が面白い。まさかの恋文に石松は固まり、鎌太郎は読み続けられなくておみのに読ませ、歩き回る。1通の文で芝居場を軽々と作り上げてしまうマキノの鮮やかさに惚れ惚れする。鎌太郎が石松をたしなめる動きも素早い。同じ東宝の黒澤明の「七人の侍」の撮影が重なり、本シリーズで加藤大介演じる豚松を死なせなければならなかったのは有名な話だが、お返しなのかは判らないが志村喬の存在感はやはり凄い。鎌太郎が夕顔を身受けすることで落着、祝宴となる。この馬鹿で純粋で女には全く奥手のヤクザという石松のキャラクターは山田宏一が鋭く指摘するように「男はつらいよ」の寅さんに受け継がれていく。
石松はさらに幼馴染の小松村の七五郎・お園(越路吹雪)夫婦を訪ねる。お園は長槍で大立ち回りの登場だ。越路の艶やかさがまた素晴らしい。村は祭だ。村人たちはお面を被っている。激しい雷雨になる。「水」の主題が物語のクライマックスと重なる。七五郎の借金を肩代わりしてやろうと石松が向かう相手は石松をつけ狙う吉兵衛兄弟だった。祭り、お面、嵐、舞台装置が揃う。闇討ちだ。
水だまりでぐちゃぐちゃの林で凄惨な斬り合いになる。お盆で祖先の霊を祀るお園がカットバックされる。ズタズタになった石松が帰ってくる。そして最期に感動的な奇跡が起きる。やがてドスを抱くように石松が水溜りに絶える。何とも哀しいのは直結して何も知らずに身受けされた夕顔と鎌太郎が晴れ晴れと向かってくる光景が示されるのだ。石松が死んだのを誰かが発見したり、悲嘆に暮れるカットは一切ない。夕顔が石松に会える喜びの顔が直結される。そしてこちらは石松の死を知り厳しい顔で海辺を駆ける次郎長一家を畳みかけてエンド。圧巻の幕切れである。山田宏一は本作を「目」の映画だと喝破した。「女は目だ!」理想の濡れた目をやっと見つけた、愛すべき馬鹿な片目の石松の哀しい最期である。
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