ひょう太郎だよ

時をかける少女のひょう太郎だよのネタバレレビュー・内容・結末

時をかける少女(1983年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

【序章】
大林宣彦監督亡くなってしまいましたね。
とても悲しい事です。
さすがに全作品観たわけではないのですが私もそれなりに大林作品には触れてまいりました。
とても独創的でアバンギャルドでありながらもセンチメンタルで世界中のどこを探してもこんな映画を撮れるのは大林監督しかいないと断言出来るほど個性ある映画人でした。
改めてお悔やみ申し上げます。

さて、何故レヴューからしばらく遠ざかっていた私が重い腰を上げ筆を走らせているかと申しあげますと、ある出来事から胸のモヤモヤが渦巻いているからに他ありません。
何がそんなにモヤモヤさせているかというと、それは先日大林宣彦監督の追憶として日テレで放送された『時をかける少女』を観た事に端を発します。

「時をかける少女は大林作品の代表作の一つじゃないか!」
「追憶として申し分ない作品だ!」
「急遽放送を放送を決めてくれた日テレに感謝すべきだ!」
「モヤモヤしてるなんていつからお前はそんな贅沢を言うようにはなったんだ」
などなどの外野からの罵倒が瞳を閉じると聞こえてきそうです。
さもありなん
確かに急遽放送枠を変更し放送して頂いた日テレには感謝の言葉しかありません。
しかし…しかし…
私にはどうしても申し立てたい事があるのです!
これを言わなければこのモヤモヤが晴れる事はないのであります。
その事をフィルマのレヴューをお借りして叫ばせて貰いたいと思い筆を取りました。
頭のおかしい男の戯言だと思って読んでいただければこれ幸いであります。

【第一章 怒り】
まず心の叫びを吐き出してしまおう。
「日テレよ!何故?エンドロールを丸々カットしたんだ💢」
大事な事なのでもう一度言おう。
「何故?何故に!エンドロールを丸々カットしたんだ💢」

この作品を観てない人にはポカーンとする叫びかもしれん。
しかし、この作品を好きな人にとっては「ひょう太郎殿、よくぞよくぞ言ってくれた!」と歓喜の涙を浮かべている姿が目に浮かぶようである。

私は『時をかける少女』を先日の放送も含め、たぶん8回ぐらいは観ていると思う。
何故に同じ作品をそんなに観ているのか?
という疑問に答えるならばそれは一言で済む。
「世界の映画史に残る最高のエンドロールを堪能したいからだ!!」
これがズバリ答えだ。

大林版『時をかける少女』は甘美でありながらも切なくそして病んだジュブナイル作品だ。
しかしこの病んで危うい物語が最後の最後に飛び切り大きな多幸感に包まれる。
それは何故か?
答えは簡単!
あのエンドロールがあるからこそなのだ。
約3分ちょっとのエンドロールこそが、この作品を一段上の極上ジュブナイル作品へと昇華されているのである。
つまりエンドロールまで観て初めてこの作品の本来の価値がわかるんだと私は断言しよう!

【第二章 真理】
ここまで読まれている方でこの作品を観た事がない方はまだピンときてはいないだろう。
百聞は一見に如かずという事でそのエンドロールを貼っておこうと思う。

https://youtu.be/RBSozb8D85g

これを観てもまだピンときてない人がいるというのは予想ができる。
さもありなん。
このエンドロール部分だけ観てもこのエンドロールの価値がわかるわけがなかろう。
このエンドロールは映画のオープニングから観てストーリーを追い、ちょっと病んだブルーな気持ちになった所で、最後の最後に神の如く完璧なタイミングでエンドロールが始まるからこそ多幸感に包まれるのだ。
だからこそエンドロールだけ切り抜いた映像を観ても意味はないのだ。
例えばしめの雑炊だけをいきなり喰わされる鍋を想像してご覧なさい。
「違う、違う、そうじゃ、そうじゃなぁ〜い」と思わず口ずさんでしまう事だろう。
鍋を堪能してからしめの雑炊を食べるからこそ満足感が得られるというのは同意して貰えるだろう。
それと同じ事。
このエンドロールも映画を最初から観てこそ意味があるのだ。
そしてこのエンドロールがあって初めてこの作品が真に完成されるのだ。

【第三章 推理】
そんな大事なエンドロールを日テレの編集者は問答無用にバッサリとカットしまったのだ。
これを罪と言わず何を罪と言うと私は訴えたい。
何故にこんな愚かな判断をくだしてしまったかを無い知恵を絞り私なりにプロファイリングしたいと思う。

編集部部長(以下部長)「大林宣彦が亡くなってしまったな」
編集者「そうでやんすね〜」
部長「日テレも色々お世話になったし追悼番組でも放送するか」
編集者「いいでやんすね〜」
部長「一般的な知名度も含め時をかける少女が最適だろう」
編集者「そうでやんすね〜」
部長「所で君は観た事はあるのかね?」
編集者「アニメ版は観た事ありやすけど大林版は観た事ないっすね〜」
部長「まぁ似たようなもんだろうから編集は君に任せるよ。放送は二時間枠を抑えたからそれに収まるよう編集しといてくれや」
編集者「ちわ〜す」
〜何日か後〜
編集者「これどこかカットしないと放送枠に入りきれねえでやんすね〜。まぁ誰もエンドロールなんて観ないだろうからそこをバッサリカットしちゃえばいけそうですな笑」
✄(バッサリ)
「ふう〜終わった終わった。仕事も終わったんでこれからザギンでチャンネーのビーチクでもコリコリしに行きますか。グヘヘヘ」

私なりにプロファイリングした結果はこうだ。
ほぼ100%間違いはないだろう。
何という愚かな行為だろうか…
何という下衆な精神だろうか…
ザギンのチャンネーのビーチクの事で頭がいっぱいでこの映画の大事な部分を編集者は誤ってしまっているのである。
今回の事件の争点を言うのであれば
「ザギンのチャンネーのビーチクがあまりに魅力的だった」と結論付けるしか他ないのであった。
神よ…私はこんな結論知りとうなかった…

【終章】
いやあ冗談はさて置いてw
本当に放送をリアルタイムで観てた時は叫んでしまったんですよ。
「エンドロールカットはないだろうよぉ💢」と。
この映画エンドロールが本編と言っていい程に本当素晴らしいんですよ。
だから放送が終わってからなんだか胸がモヤモヤしてしまって…
何とか解消するには吐き出すしかないなと思って久しぶりにフィルマに投稿したという運びなわけです。
(久しぶり過ぎてめっちゃ長文になってしまったけどw)
まぁ胸のモヤモヤがスッキリしたんで良しとしよう!
て事でモヤモヤは解消されたんで今度はシコシコしてきま〜す🤣

オチの酷さよ…