しゅんかみ

テルマ&ルイーズのしゅんかみのレビュー・感想・評価

テルマ&ルイーズ(1991年製作の映画)
5.0
恥ずかしながら初めて鑑賞。

30年前の映画とは思えないめちゃくちゃ先進的な映画であると同時にラストに向けてのエモーショナルの高まりに涙を禁じ得ない。
こんな大傑作ならもっと早く観たかったわ!

…とはいえこれは『プロミシング・ヤング・ウーマン』や『ハスラーズ』、『ブックスマート』を経た今だからこそ、シスターフッド映画、フェミニズム映画として飲み込みやすかったのかな?とも思った。


宇多丸さん曰く、今作リドリー・スコットの作家としてのテーマは
「一度動き出したらもう止めることができない機械的システム」
「登場人物たちはそれを巡ってジタバタするけど、実はそのシステムが動き出したきっかけははるか手前にあって、もう始まった瞬間から避けようがなかった」
「つまり、最初から実は“詰んで”いたんだ」
(エイリアン・コヴェナント評より https://www.tbsradio.jp/archives/?id=p-185548)

『テルマ&ルイーズ』にこの補助線を引いて考えるのであれば、テルマとルイーズがどんどん犯罪行為に走ってしまうのは、「無軌道で、バカで、考えが足りないから」ではなく、男性優位で女性の証言が性犯罪で無視されてしまうという社会のシステムによることが大きいように思えた。
だからこそハーヴェイ・カイテル演じる刑事は、彼女たちをなんとか救いたいと思いながらも、悲劇的な顛末をただ「見ていることしかできない」。

レイプ被害にあった過去を持つルイーズと、夫からの理不尽な束縛を受け、頭が悪い妻というレッテルを貼られているテルマ。
実は彼女たちも頭が悪いわけでは全くないことも示されており、この映画全体が社会のシステム=男性優位の社会の生んだ避け得ない話であることも分かる。

でも、同時にあまりにユーモアに富んだやりとりをする彼女たちのことを、観ている側はすっかり応援させられてしまう。特にテルマはある出来事の後からすっかり自分を解放して服装や化粧まで変わっていく姿は最高だった。

後半、2人が荒野を渡り歩くシーンが長く続くけど、ここはほとんど西部劇のようで、ラスト付近の逃走劇も車ではなく馬の方が合いそうなロケーションで、予期せずアメリカ映画のスケール感を存分に味わえて良かった。



脚本家のカーリー・クーリは、今作でアカデミー賞脚本賞を受賞した時のスピーチで「『テルマ&ルイーズ』のハッピーエンドを見たかったみなさん、私にとってはこれがそうです。」と語ったらしい。(Wikipedia情報)
作品内で迎えた悲劇的な結末も、その作品が観られ、社会の意識が変わることによっていずれハッピーエンドたり得るのかもしれない。

映画内で起こることに対して観客は「見ていることしかできない」。僕自身テルマとルイーズになんとか幸せな結末を迎えてほしいと心から思いながら観ていたけど、結末を変えることはできない。
けど、観ることによって引き起こされた感情や思考を止めてはいけないし、それを行動に起こすことを忘れてはいけないなと思った。

どんな状況でも思考とユーモアを忘れず、未来を切り開いた、今作と同じリドリー・スコット監督作『オデッセイ』の主人公マーク・ワトニーのように。