茶一郎

戦場にかける橋の茶一郎のレビュー・感想・評価

戦場にかける橋(1957年製作の映画)
4.4
 デヴィッド・リーン作品は画面を支配する自然の風景・風土こそが映画の主役となり、観客に強烈な印象を与えます。『アラビアのロレンス』の広大な砂漠、『ドクトル・ジバゴ』のあの寒々しいロシアの雪景色、『ライアンの娘』の海岸と波打際、とりわけ今作『戦場にかける橋』はクウェー川に架かる巨大な橋、何より画面を越えて伝わってくるジャングルの暑さは、「デヴィッド・リーンの映画」というメディアでしか体験することができないように思います。

 今作『戦場にかかる橋』は、第二次世界大戦の真っ只中、ビルマの大河・クワェー(クワイ)川に巨大な橋を作ることを命じられた日本軍の捕虜のイギリス軍兵士と、その捕虜収容所を脱走したアメリカ人兵士の物語を交錯して語る戦争映画。アカデミー賞7部門受賞といういわゆる「名作」と言われる作品であると同時に、『逢びき』、またノエル・カワード、チャールズ・ディケンズ原作映画、そして『旅情』など、どちらかと言うとミニマムな文学的な作品を撮り続けていたイギリスの名匠デヴィッド・リーンを後の『アラビアのロレンス』、『ドクトル・ジバゴ』など大作路線に拡大した作品であると言えます。
 前作『旅情』とは比べものにならないほど、とにかくスケールが莫大で、冒頭から連なる遠景のダイナミックな景色を筆頭に、タイトルにある「戦場にかかる橋」を本当に作ってしまうという狂気(橋を作るだけで約25万ドル)にはただただ舌を巻きます。

 そんな以前のデヴィッド・リーン作品と比べて破格のスケールの一本である反面、決してデヴィッド・リーン監督は自身の作家性を変えていない。つまるところイギリスに生まれイギリスの古典的な劇や小説の映画化に取り組んだ「イギリス」の映画作家デヴィッド・リーンは、やはり今作でも「イギリス」を描くことをやめませんでした。
 イギリス人の他、アメリカ人、日本人と国際色が豊かになった配役は、『旅情』におけるアメリカ人の主人公同様に、イギリス人の国民性を浮き立てるような役割を担い、結果的に今作『戦場にかける橋』は第二次世界大戦におけるイギリス人の悲痛な運命を浮き彫りにします。あくまでイギリスの国民性を冷静かつ客観的に見つめるデヴィッド・リーンの視線は、三つの国の兵士の対比に始まり、軍会議で話し合いを始める前にそこがビルマにもかかわらず「まずお茶を飲もう」と提案するというギャグとしても劇中に見られるというのが面白い所。

 また「戦争映画」と言っても、驚くことに前半は日本人将校とイギリス人将校の「思想の対比」で見せ切り、明確な戦闘シーンは画面に映らないのも印象的です。中盤、唯一ある戦闘シーンでは直接的な描写を見せず、膨大な数の鳥が木から飛び立つという「風景」だけで戦争の恐怖を描く。
 後半のサスペンスな展開が帰着するのは、やはり戦争という地獄における狂気でしかなく、今までの人生で何かを成し遂げたことのない男が戦争において自己実現をしてしまったという悲劇的な運命の末路、「マッドネス!」という繰り返しのセリフが反響するラストは「狂気」としか表現することができません。
茶一郎

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