パケ猫パケたん

8 1/2のパケ猫パケたんのレビュー・感想・評価

8 1/2(1963年製作の映画)
5.0

⚫2022年10月15日 レビュー分


午前十時の映画祭にて鑑賞

やはり、大大傑作💯


『8 1/2』(1963) 🇮🇹🇫🇷 
  モノクロ 138分
  はっかにぶんのいち

監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ他
音楽 ニーノ・ロータ
撮影 ジャンニ・ディ・ヴェナンツィオ

男優
マルチェロ・マストロヤンニ
(主人公の映画監督、グイド)

女優👱‍♀️👗✨
アヌーク・エーメ(グイドの妻)
サンドラ・ミーロ(グイドの愛人)
クラウディア・カルディナーレ(本人役)
バーバラ・スティール(グロリア)
カテリーナ・ポラット(謎の美女)
マドレーヌ・ルボー(フランスの女優)
エドラ・ガーレ(大女サラギーナ)


『8 1/2』というタイトルは、これまで、フェリーニが単独の監督で撮った8本の映画と、オムニバス及び共同監督を1/2本と数えて、命名されている。

自伝的要素が強い作品で、主人公の映画監督グイド・アンセルミの「意識の流れ」、「夢」、「妄想」を自在に繋いだ、映画史的にも極めて重要な、前衛的作品だ。プルーストの小説『失われた時を求めて』から50年遅れていた、映画芸術が追い付いた瞬間である。

フェリーニの『甘い生活』(1959)が、退廃したローマの人々を描いていて、キリスト教の限界にまで言及した、傑作であったので、彼自身、次回作のプレッシャーが大変であっただろうと、容易に予測がつく。

『8 1/2』は正に、最先端の映画監督の創作の苦悩が、描かれている。芸術🎨とは命がけ。

モノクロの映像美の下、「意識の流れ」、「夢」、「妄想」😻と自在に、そしてシームレスな感じで、編集されているので、これこそ映画と鑑賞中に感銘する事の連続で、夜型生活のオイラ🐱でさえ、高い集中で鑑賞出来た。

感情豊かに、母音をハッキリ発音する、至りイタリア語🇮🇹を、大量に聞くと、元気が出る感じがする🐱🎵

カメラワーク、照明、音楽、そして個性的な美女たちと、手を変え品を変え、めくるめく快感、前衛的であると同時に、時間芸術のお手本であろう。

グイドの子供時代に戻る演出とか、細かく工夫がなされていて、最高。マジシャン、アサ・ニチ・マサとの呪文から、子供時代に戻る演出の細かさと、フェリーニ・マジックを目撃して欲しい。

愛人役のサンドラ・ミーロの艶っぽさ、
浮気を疑う、妻の役のアヌーク・エーメのいちいち顔がひきつって来るのは、オイラ🐱観ていて、怖くて😰、同時に面白かった😉

フェリーニも、ハーレムの妄想😻を、映像にしなくていいから。オイラは好きになったら一途なので、ハーレムとか妄想しないから←(゜o゜)\(-_-)マジカ
何人、妄想ハーレムにおんねんw、多分一見さんのスチュワーデス美女👱‍♀️🕶️までいてるじゃんww いつのまにか、音楽が『ワルキューレ騎行』に成って、グイドが鞭振ってるやんww SMかよ👀‼️、
そして、そのハーレムで甲斐甲斐しく家事をこなす、健気な妻のアヌーク・エーメたん👱‍♀️✨🧡
まぁ、この辺りのフェリーニの名人芸も目撃して欲しい😻

クラウディア・カルディナーレが、クラウディアって役名で、本人みたいな設定で登場するのも、メタ過ぎて痺れる。
彼女は清純な美貌で、監督の創造の源泉のひとつであるみたいである。天使的な存在。
そして、成り行きでグイド監督とクラウディアはドライブに行くが、着いた先が廃墟で行き止まりであった。つまり、悪魔👿的な存在でもある、女性とか、物事の二面性みたいな。


グイドの次回作、それは、核戦争で人類は絶滅寸前となり、ノアの方舟の如く、
ロケット🚀で、人類は移住するという設定。

グイドは、巨大なロケット🚀発射のセットを組んで貰うも、そのあとのアイデアが浮かばず、記者会見で自殺未遂を起こしてしまう。

撮影中止となり、セットの解体の最中


グイドは回想する

「オレが、求めていたのは、今まで無かった考えを、シンプルに伝えること。」

クラウディア、サラギーナ、老いた父、老いた母、白い衣装、沈黙

そして、啓示を受ける


離婚間際の妻を見つめながら、言う

グイド「人生は祭りだ、共に生きよう」

美人妻👱‍♀️「やってみるわ。」

(オイラ、このキラー台詞に毎回、泣く😹😹)


最後は、登場人物たちが再結集して、手を繋ぎながら、円の周りを回る

美しい、同時にベルイマンの『第七の封印』(1957)の、死神に手を曳かれる人々の、不吉なラストシーンにも似ている。

フェリーニは、二重に、描いている。

しかし、人類が「人生は祭り」というシンプルな真実に気がつけば、確かに、救われるハズでもあるのだ。

ミクロ(芸術の苦悩、離婚問題)から、マクロ(映画史、核戦争、人類史)まで、簡潔に描ききっている。

だから、オイラ🐱のベスト


そして
完璧な芸術は、ひとつの小宇宙を成す



【要、推敲です🙇💦】


2022年映画館鑑賞 105本目
2022年鑑賞    152本目




⚫2020年11月19日 レビュー分


「生誕100年 フェデリコ・フェリーニ映画祭」にて、数度目の邂逅。満点💯です。

今回の『8 1/2』を再鑑賞して、生涯ベストワンの傑作かも知れないと、瞠目した。

映像・映画そのものだから、文章化しにくい。不可能な気さえする。

今回の鑑賞に於いては、あるオレの恋(最新分)♥️について、復習・連想しながら観ていたので、ベストワンを語るに相応しい文章や、フレーズには至らなかった。ただ、過去と現在が交差する、極限に美しいフェリーニの映像と、オレの記憶が更に脳内で重なり、究極の悦楽と苦味との走馬灯みたいな体験をした。

映画館料だけで、安価にトリップ出来ちまったぜ(^_-)❗ 違いのわかる男☕♨️かな?

魔術師🧙フェリーニの映像イマジネーションが多岐に渡り、凄すぎて、映画全編暗記したいのだけども、高揚した脳😻😝😓😏の、オレの記憶の速度と容量がついて行けなかったなぁ。

以下、も散文。
 
『8 1/2』は極めて独創的な映画。まず史上初の自伝的な映画である事。意識の流れの中で、自在に撮られている事。美術のそれぞれ、映像のそれぞれが一流である事。ニーノ・ロータである事。人生の深淵が描写されている事。芸術とは命懸けである事。コッポラよりもワルキューレ騎行が似合う事。アヌーク・エーメが一番地味に見える程に美女揃いである事。エトセトラ、エトセトラ。

人生に思い悩んだ時には、フェデリコ・フェリーニと、黒澤明の、力のある作品が、真に勇気づけてくれる。

その黒澤明が、晩年に、「私は、今まで映画とは何かが、判っていない。フィルムとフィルムの継ぎ目の瞬間に、それがある気がする。」みたいな事を語っていた。

オレは、この完璧な映画である『8 1/2』の、暗い思索的な画面から、明るく艶っぽいイタリアの海岸の画面に転換する、瞬間・継ぎ目などに、正に、これが映画であると感じた。

「人生は祭りだ。共に生きよう。」

この台詞に、毎回じんわりと涙が滲むのだが、今回は特別な鑑賞だったので、体内に電流⚡⚡がマジに走った。ベストワンの証(あかし)。

この台詞からラストシーン、そしてラストの8 1/2の字幕への余韻まで完璧。 

母親への思慕の表現、人生の深淵を覗かせるところ、キリスト教への疑問と畏怖の念の表現が、特に素晴らしく、アンドレイ・タルコフスキーの源泉・元風景と言っても良い、豊かな高みの境地にあると思う。

(いつか再鑑賞します(^o^))