河

蠱惑の町の河のレビュー・感想・評価

蠱惑の町(1923年製作の映画)
4.8
90年代のゴダールみたいなショット一つずつにオーラがみなぎってる感覚とサイレント映画特有の現実離れした多幸感みたいなものの両方があって、かなり好きな映画だった。

おそらく安定した生活を送ってるだろう主人公の住む家に、天井をスクリーンとして窓越しに映る影によって窓の外、街で起きていることが上映される。そして主人公はその窓を覗くことで夜の街に溢れる映画的な可能性を幻視する。そのまま飛び出して、途中で出会った女に誘われるように夜の街を徘徊していく。その過程で、指輪を隠すことによって以前の生活を失い、さらには指輪や他人のチェックも手放すことで、夜の街の一人として欲望に支配されていく。そして、大金とそれによって女を手に入れそうになった瞬間、それまで主人公の外で起きていた事柄が組み合わさることでテンポ良くコミカルに悲劇へと転落して行く。ただ、最後はまた偶然によって解放され、主人公が疲れ切った状態で早朝の荒れきった街を歩いて暖かい家に帰る。

街が瞬きするっていうかなり強いシーンがある。主人公が夜の人々と対比的に純粋で、物語がそれに対してかなり道徳的な展開をするのもあって、街が全ての悪い行動を見てるっていうような、街=秩序みたいな感覚になった。さらにモブの人達が全員他人に干渉せず機械的に繰り返し的に動いていくので、街に生きる人含めて秩序立って動いているような感じがする。夜の街の中で弾かれているように見えた主人公や目の見えない老人、子供は秩序に守られる側で、その中でうまく立ち回っていた夜の人達は最後には排除される。

天井に街の影が上映されて、その上映機のレンズを直接覗き込むっていう冒頭から最高。舞踏会のようなものを背景にして主人公が暴れた後、幕が締められてポーカーが始まるけど、その2つの絵面が夜の街の表と裏のように雰囲気が反転していて、同じ場面でそれが非常に手際良く切り替わるのが良かった。さらにそのポーカーで主人公が大金を手に入れた後、その高まりを表すようにより狂乱状態の舞踏会が再度背景に現れて、主人公がそこを通って出て行く。さらにここから主人公が全てを手に入れてクライマックスの転落にもつれ込んでいって、そこから解放された後の早朝人のいない捨てられたような街って形で大きく反転する。全体的にショットや場面展開が最高だったけど、特にこの後半の畳み掛けが最高だった。

表現主義の映画であるとともに、カール・ハインツ・マルティン『朝から夜中まで』に続く、街それ自体についての映画の系譜にあるらしく、この作品のあとにはゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト『喜びなき街』があるとのこと。(朝から夜中までの英語wiki) 街を一つの意思を持った生物、もしくは一つの自律的もしくは力によって操られたシステムとして撮るという点で『カメラを持った男』『時の外なにものもなし』『伯林 大都会交響曲』などcity-symphonyと分類される作品群に繋がっていくものにも思う。また、表現主義のこういう側面がノアールに繋がっていったのかなあ的なことも思った。
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