Tラモーン

Vフォー・ヴェンデッタのTラモーンのレビュー・感想・評価

Vフォー・ヴェンデッタ(2005年製作の映画)
4.0
"自由と正義は言葉ではない それは生き方だ"

『マトリックス レザレクションズ』に肩透かしを食らってしまったので、久しぶりにこちらを鑑賞。マトリックスシリーズ後にウォシャウスキー姉妹が制作脚本で参加した大好きな作品。

第三次世界大戦後、戦勝国となったイギリスはサトラー議長独裁の全体主義国家となり、すべて国民の言論と思想は政府に監視されていた。ある年の11月4日の深夜、夜間外出していたイヴィー(ナタリー・ポートマン)は秘密警察に囚われたところを"V"と名乗る仮面の男に助けられる。そして11月5日を迎えた瞬間、"V"が仕掛けた爆弾により裁判所が爆破される。翌日TV局を占拠した"V"は1年後の11月5日、国会議事堂の前に集まるよう国民に語りかける。

あ〜!なんてカッコイイ冒頭!
まさに反逆のヒーロー"V"!
日本人には馴染みのあまりない「ガイ・フォークスの日」または「火薬反逆事件の日」である11月5日。虐げられたカトリック達が起こした政府転覆未遂事件が基盤になっている。

この作品の根底にあるのは自由の理念。管理・抑圧された人々の精神的な解放。『マトリックス』では機械だった敵が、この作品は独裁国家だ。
虐げられる自由は言論だけではなく、思想や同性愛、異形など今考えれば多様性の考え方をかなり先駆けていたかもしれない。

一部の人間の保身、権力のクズどもに対し、戦いを挑む"V"は全ての国民に共に立ち上がることを呼びかける。人は死んでも理念は受け継がれるからだ。
ガイ・フォークスの仮面をつけた彼は一見不気味ながら、言葉を発すれば人を惹きつける説得力とユーモアを持ち合わせている。彼は理念を伝えることこそ革命の一歩であることを理解しているから。

それに対するサトラー議長の独裁政府の描写は閉塞感と絶望感に溢れている。国民を抑圧し、自らの権力を安定的なものにするためだけの管理社会は国民に一切の容赦をしない。イヴィーの同僚が連れ去られるシーンの恐怖たるや。
彼女自身が受ける拷問のリアリティもその恐怖があってこそだった。

そんなイヴィーを演じたナタリー・ポートマンの演技力と役者魂は凄まじい。坊主頭にされ窶れた痛々しい姿は流石としか言いようがない。

復讐に燃える"V"を演じるのは『マトリックス』でエージェント・スミスを演じたヒューゴ・ウィービング。表情は見えずとも声の抑揚と、重みのあるアクション。最高にカッコイイ。


フィンチ警視により徐々に暴かれる真実。そして次第に近づく11月5日。暗躍し自分をバケモノへと変えた仇敵への復讐を進めていく"V"の呼び掛け対して、イギリス国民はどう行動を起こすのか。

物語終盤、11月4日に国民に語りかけるサトラー議長を映すTVの前に誰一人座っていないシーンは、冒頭の"V"の演説シーンと対極だ。

「仮面の下にあるのは理念だからさ 理念は決して死なない」

スタイリッシュなアクションと痺れるような台詞回し。ウォシャウスキー姉妹の物語にぼくが求めるのはこれなんだよなぁ。
ローリングストーンズのStreet Fighting Manが流れるイカしたエンドロールも必見のカッコ良さ。
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