カリカリ亭ガリガリ

ハリー・ポッターと炎のゴブレットのカリカリ亭ガリガリのレビュー・感想・評価

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15年ぶりに観た。劇場で観た時、ついに描かれたヴォルデモートのヴィジュアルの素晴らしさに感銘を受けたのを憶えている。ペティグリューによるヴォルデモートの作り方講座が終わると復活する彼は、不気味さと恐怖を体現するかのようなハゲ姿なのだけれど、最も生理的嫌悪を抱くのは「鼻」だろう。鼻が無い、というヴィジュアルショックは、まるで骸骨そのものを想起させる。

シリーズにおいて最も単純化された物語には、何らサスペンスも無い。対抗試合の様子も全く盛り上がらないし、人間描写にしても台詞にしても、ずっとダサい。極め付けは、童貞のメガネの初恋を結構な尺で目撃せねばならず、心底どうでもいい。これだ!という決めのショットも無いしね。ダメだこりゃ、と鼻クソをほじっていると、クライマックスで復活するヴォル。そして初の生徒の犠牲者。急に大絶望で幕が閉じる。このヴォル復活が無ければ、相当どうでもいいダサい作品なのだけれど、13年ぶりに復活したヴォルが「決闘しよ。しよしよ」とテンションが高いので楽しい。

とは言え、この監督の演出のダサさというのは、例えばハリーが暴れん坊のドラゴン・ホーンテールから奪い取った金の卵が、グリフィンドール生の目前で掲げる手にジャンプカットする編集があるのだけれど、これ見よがしな省略で心底ダサい。
あるいは、クライマックスの対ヴォル戦において、亡霊となったセドリックやハリー両親がハリーの前に現れるのだけれど、その時に、冒頭で殺されるマグルのおじいちゃんもなぜか現れる。ヴォル復活という絶望の時間に、なぜか緊迫感を削ぐようなおじいちゃんの登場。当然、このおじいちゃんは何もしない。出さなきゃいいのだ。必要ないのだから。
原作ではそうなんだとかどうでもよくて、映画のサスペンスやエモーションを如何に作り出すかという術を、この監督は忘却しているとしか思えない。ハリーとロンの喧嘩の終結とかダンスパーティー諸々とか、人間や若者をナメんなよと言いたい。あと、客をナメんなよ。

と、本当に色々ダサいTVムービー並のクオリティである本作に肉付けされているのは、やはりキャラクターたちの魅力だと思う。特にマッド・アイ・ムーディーが濃い。対抗試合のためにやって来るラグビー部みたいなマッチョとか宝塚歌劇団みたいな女学生たちとかも面白い。ドラゴンも造形かっこよかったです。水中でハリーを襲うポニョみたいなタコみたいなやつらも気持ち悪くてよかった。ハグリッドと恋仲(?)になるデケエババアもよかった。ハリーもロンも『アズカバンの囚人』からめっちゃ大人っぽくなっているのだけれど、ハーマイオニーがめっちゃ綺麗になってるのもよかった。「次はすぐに私を誘うべきよ!んもう!」とロンに泣きながら怒るのとか、めっちゃ女子じゃんと思えてよかった。

本作から魔法によるバトル要素が確実に付加されたので、1〜4を前半「学校は楽しいけれどたまに死にそうになる編」として、残りの「もう勉強している場合じゃないから戦争します編」の後半も楽しみたい次第です。

ワールドカップの最中にデスイーターが奇襲してくるのだけれど、テロとして普通に怖かったな。
『テネット』ファンには『秘密の部屋』のケネス・ブラナー然り、キャスト的に懐かしくてちょっと嬉しい作品ではあるね。