カリカリ亭ガリガリ

べイビーわるきゅーれのカリカリ亭ガリガリのレビュー・感想・評価

べイビーわるきゅーれ(2021年製作の映画)
4.8
殺し屋のほのぼの日常×超絶バイオレンスアクションというエポックメイキング。阪本監督が若き天才たる所以は、その演出力もさることながら、自ら書いた脚本の完成度の高さだろう。間違いなく現状インディーズ界隈において、この手のエンタメを構築する筆力、展開させる手腕、興味を持続させる手数の多さに最も長けている(ゆえに、阪本監督作品は監督本人脚本の方がべらぼうに面白い)。こういった脚本が書けてしまう才能。その上で、こういった脚本に呼応した芝居の演出が出来てしまう才能。そういう映画監督としての運動神経。運動神経映画。

久々に「俳優への芝居の演出が正解している」邦画という印象もある。この辺は過小評価というか、もっと語られていい魅力。とにかく徹頭徹尾に作品内のリアリティラインに沿った、抑制された演技と演出が選択されているので、本当にイラッとすることがない。だからまあコメディとしても当然成功している。阪本監督は映画監督の職務として「この作品に相応しい良い演技を引き出す」という当たり前の演出がしっかりと出来る作家。

特に高石あかりの芝居は素晴らしい。これぞ映画的コメディエンヌ。映画俳優が実行するべきコメディの呼吸や間。コメディとか関係なく、久々に「熱演」と呼ばれるものの対局で輝く「演技」の巧さを観た。ぼそぼそと力の抜けたアホ言動、狂人のような金切り声、ボケもツッコミも絶妙な間と声量、そしてアホすぎる喜怒哀楽の表情。全てが愛らしいというか、この人それ自体がツボ。アホモードから殺し屋モードに切り替わった際の眼光も素晴らしい。抑制されたデフォルメ。デフォルメの度合いを的確に選択できている俳優としての運動神経。彼女みたいな人が「演技がうまい俳優」だと本気で思います。

伊澤彩織は本業がスタントというのも相まって、人見知り陰キャのデフォルメが若干ステレオタイプに感じられなくもない。が!ちさととまひろがただダベっているだけで魅せてしまうグルーヴはこのカップリングだからこそで、まひろ役はもちろん彼女以外には考えられない。彼女が繰り広げる超絶アクションの数々こそ、ステレオタイプなアクション(『シン・仮面ライダー』で庵野がやりたがらなかった段取りっぽいやつ)なんか一つもない、誰も見たことのない新しいアクションを見せてやる!という気概に満ちていて圧倒される。なんなら、アクションが凄すぎてそれだけでちょっと泣けてくる。お世辞抜きに、最近のハリウッド映画の何倍も「すごい!と思える」肉弾アクションが撮られている(2023年に伊澤彩織は『ジョン・ウィック:コンセクエンス』のスタントパフォーマーにも抜擢されている!)。

貧困映画としてもマジで嘘がなくて素晴らしい。貧困と衣食住がしっかりと関係性を持っていることから逃げない表現や台詞。特に貧困層における食事の描き方が最高。たとえば、バイト先のメイド喫茶で、ちさととまひろがコンビニで買ったサンドイッチを食べようとすると「コンビニでサンドイッチ買えるなんてすごい!」とメイドに言われたり、低所得者食文化あるあるが地獄のブラックコメディとして通底している。それがちゃんとギャグとして機能しているのが、現代日本の恐ろしいところ。そして高石あかりは何かをバクバク食っているのが本当に似合うし終始面白い。

本宮泰風が度を越してバカすぎるのも、バカ親父の子ども二人がちゃんとバカすぎるのも、マジでコメディとしてうますぎる(「油を売る?油なんか売ってねぇぞ?」)。

『コワすぎ』の工藤さんこと大迫さんを追い詰める長回しに「映画を撮ってるな〜」と感心する。

ここで比べるのは阪本監督に申し訳ないのだけれど、小林勇貴に備わっていなかった全てが阪本監督には本質的に備わっている。阪本監督も、割と自主映画時代は露悪っぽい部分も出していたけれど、世間で騒がれるよりも早く小林勇貴から距離を置いていたし、秘宝的なものへの冷静な距離感が常にある人だった。そういった判断や反省が、このエンタメを生んだと思うと、なんだかチヤホヤされまくっていた小林勇貴も逆に可哀想になってきた……(小林ユーキと違って、阪本監督は初期から映画的な運動神経とギャクセンがめっちゃあったけど)。
秘宝的な界隈で、秘宝的なノリだけで消費されない「こういう映画」が作られただけでも嬉しいんだよな。
「新しい映画」ってのはこういうことだと思う。

殺し屋、シスターフッド、日常系、貧困、コメディ、バイオレンス、ガンアクション、肉弾アクション……コロンブスの卵的な発明に満ちているエンターテインメント。プログラムピクチャーとして毎年公開してほしい。