カラン

ルナのカランのレビュー・感想・評価

ルナ(1979年製作の映画)
4.0
母は世界的オペラ歌手。アメリカからイタリアに向かう日の朝、初老の父は事故死する。公演やリハーサルで長期滞在する母に連れられてイタリアにやって来ると高1くらいの息子は薬物とセックスに溺れて、母は声がいっそう出るようになる。。。月の満ち欠けのように、揺らぐ母子関係を描く。


☆ストーリーテリング

脚本に弟のジュゼッペ・ベルトルッチが入っている。象徴に頼った物語の展開の仕方は相変わらずのベルトルッチ節なのだが、『暗殺の〜』の2作と同レベル。少年が実父のダグラスを訪ねる時の白いジャケット、カーキのパンツはダグラスとお揃いである。つまり、実子と実父が重なるのである。もちろん、実父の実母(アリダ・ヴァリ)と実子の実母(ジル・クレイバーグ)と併せて、重なることになる。少年とオペラ歌手の母のカップルと、実父とピアノ弾きの母のカップルが。するとこの物語は、実父に実母は惚れて、息子をもうけたが、ダグラスと母親の近親相姦的な関係のために別れたのだが、法律上の父が死に、生物学的な父のことも知らない息子がジャンキーになると、その息子を慰めようと近親相姦的なコミュニケーションを取ってしまうという、可哀想でどうでもいい話を、いつものベルトルッチ節で謎をかけただけということが判明する映画なのである。  


☆タルコフスキー

タルコフスキーがこの映画は、不道徳で下劣なゴミ、だと評したらしい。ゴミというのは言い過ぎである。

息子と母が準・近親相姦をする際に、母が激しく悶えて、ベットの上で股を開いて腰を上下に何度も振る。そこは『暗殺のオペラ』のハム屋のおやじの営む宿屋。周辺の地域は、枯草が金色に輝いている。母の小さなパンツの足の付け根には陰毛が暗く密集しているのをゆっくり映す。こういうコミュニケーションの果てに、ラストで息子は何がしかのユリイカを迎えたかのように、リハーサルのステージか空かを見上げる。

ベッドの上の母、子供の眼差し、というテーマで『鏡』(1975)を撮ったタルコフスキーが、痙攣する腰で陰毛を映して、少年の眼差しに至るベルトルッチの映画を良しとするわけがない。さらにタルコフスキーを苛立たせたのは、無駄な政治的コミットではないか。「自分はコミュニストです。」と車に乗せてハムおやじの店に連れていってくれた男に言わせている。もちろんタルコフスキーは旧ソ連の人間なのであるから、コミュニズムに関するベルトルッチの空論を聞く気にはならないだろう。


☆『暗殺のオペラ』

なお、ハム屋のおやじは、アリダ・ヴァリとオペラという設定共々、『暗殺のオペラ』と共通するものだが、天井から無数にぶら下げたハムの熟成を見るために串を刺すシークエンスがある。部屋に入ってくる薄い陽光とハムの薄桃色が反応してその小部屋は独特の色彩を帯びての、ハムおやじであった。これは全ての映画のベストショットに入れたいくらい、素晴らしい。ベルトルッチはときどき良い映画を撮るのではない。ときどき良いショットを撮るのである。『暗殺のオペラ』も、本作も、撮影はストラーロである。

不満しか書いてこなかったが、本作を☆4つとしたのは、他でもない、「光を捉えるヴィットリオ・ストラーロ」である。陳腐なお月様だななどと思うが、ローマやパルマの光景は信じがたい美しさだ。また、近親相姦的、、、の後、母を探してカーテンを開けると友達がいて、パルマの母とクロスカットになる。パルマで彷徨う母をストーキングする助手席ショットも素晴らしい。



レンタルDVD。55円宅配GEOなのだが、前回は20日間で18本借りた。今回、14日間である。20分の1。あと11日間で。こほっ。
カラン

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