群青

時をかける少女の群青のレビュー・感想・評価

時をかける少女(2006年製作の映画)
4.4
これは自分の勝手な解釈だが、日本人は切ない、にとても敏感な人種だと思っている。
洋画なら愛する人が死んだりペットが死んだり、でメッセージは結構直球で王道のような気がする。
邦画にもそうしたところはあるが、どちらかというとあと少し何かが違えば、とか何気ない風景はもう戻ってこない、とかやるせなさや一瞬の感情を増幅させて、なんだか切ないなーって思うのが好きなんだと思う。

ところで青春パンクなんていう音楽ジャンルがある。銀杏BOYSの駆け抜けて性春という曲を機会があったら聞いて欲しい。うん。苦情が聞こえてきそうだ笑
音が無茶苦茶でボーカルは叫んでるしなんだかうるさい、という感想も受け入れます笑 でもこれはもう切ないの究極だと思うんだよね。もう日本人にしか描けない感情なんだよ。
もうなんなんだよ!!好きなんだよ!コンチクショー!!!みたいなわけのわからない、でも爆発させずにはいられない感情を見事に表していると思います。

話を戻すが時をかける少女はこれほど、というわけではないが間違いなく切ない映画だ。それも声を上げておいおい泣くような映画ではなく、胸がキュッとして、そして人によってはホロリとしたり。このキュッとする、というのが肝だ。んで観終わった後どこか清涼感も残る、という素晴らしいバランスの傑作なんだと思う。

その理由はいくつかあるがまず、画面いっぱいに広がる青空と入道雲。

夏!

夏といえばもう日本人みんなが体験している切ないと思った季節ナンバーワンではないだろうか。日本人は四季にそれぞれ切なさを想うので一概にとは言えないが。
ある人は宿題を気にせず友達と走り回った風景を。ある人は部活に打ち込み汗を流した経験を。ある人は好きなあの人に花火大会やその他デートに誘えたりするんかなと胸を躍らせたり。各々が大なり小なり経験したであろう、あの時は楽しかったなーというのを自然と思い出させるのだ。劇中には青空だけではなく、普段見れないお昼の番組に絶え間ない蝉の鳴き声。学校での部活の声。廊下の向こうで微かに響いて聞こえる蛇口の水が一滴落ちる音。

もうたまらんのである。

琴線に触れるとはこういうことだ。しかもこれはアニメーションだからこそ味わえるものだと思う。旅行から帰って絶景の写真をみてもこんな感じじゃなかったのに…と感じるように、目に見える光景というのは情緒というフィルターによって何割も増す。そういう意味でいうとアニメのような技法の方が、時に実写を超えると思う。


女子1人に男子2人という組み合わせもグッド。持ちつ持たれつ、だけどどこか微妙な距離感。

自分は男だから真琴のような女の子はすごくずるく感じてしまう。男って皆が皆ではないけれど、高校生にもなれば下心もあるし打算的な所もある。
分かっていようがなかろうがその笑顔は禁止だ!ってこと笑
男は単純なんだぞ!笑

ストーリーも切なさ爆発だ。ちょっとした幸せにばかりタイムリープを使う真琴。そして男の子のことを好きな女の子のために頑張るのに、頑張った後に残るぽっかり開いた穴。私、何がしたかったんだろう。なんでこんな感情なんだろう。大人でも整理しきれないヤキモチや独占欲が高校生に耐えられるはずがない。真琴はイケメン2人の間で揺れ動く。ここもまた切ない。

でも結局の答えを真琴は出している。


それは走る事だ。


走る事は、その時そう思わないとできないのだ。彼女がいっけえええええ!と叫ぶ事こそあの夏にすべき事の一番なのだ。見ている僕らもいっけえええええ!となる。真琴は最後のあの瞬間から未来まで時を駆け抜けるのだ。駆け抜けなきゃいけない。それが千昭との約束に少しでも近づく事だからだ。

僕らは部活で結果を出せなかった、とかあの子に声をかけられなかったとか、そもそもこんな夏送れなかったよちくしょう、とかそれぞれが思う夏の後悔を真琴に重ねるのだ。この切なさ。もうたまらん!(何回言ってるんだ)


そういったごちゃ混ぜの感情を全てコレが語ってくれる。そして解決させてくれる。だからこそ僕はこれが名作たる所以なのだと思う。何回観ても何回でもキュッする。愛おしくなるそんな作品。
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