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新幹線大爆破のPizzaFatのレビュー・感想・評価

新幹線大爆破(1975年製作の映画)
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今見ても凄い名作だと感じた。
本作は、企画、脚本、演技全てがハイレベルなのだが、それだけではなく、社会風刺にも通ずる構成のすばらしさがある。
まず企画的に時速80km以下になったら新幹線が大爆発、というのが面白い。似たような作品が国内外に数多く作られているのが本作の企画的な秀逸さの現れだと思う。
役者もあまり詳しいことは知らないが当時のオールスターで構成されいるとのことで、演技も見応えがあった

そして何より当時の社会風刺にも通ずるがそれでいて普遍的なテーマ性を持つ構図が素晴らしい。
本作の新幹線大爆破を計画する身代金目当ての犯罪グループは、廃工場のオーナーや、元学生運動家のような当時の社会のいわゆる負け組である。そんな彼らが劇場型犯罪に走るというだけではよくある設定にすぎないが、彼らや、事件の対策あたった鉄道職員の行末が本作のテーマ性を際立て、名作の粋に押し上げていると思う。

新幹線の爆破は、作中での警察、鉄道会社、犯人たちの一連の駆け引きを経て結果的には阻止される形になる。しかし、それはあくまで結果でしかなかった。新幹線は終盤に、仕掛けられた爆弾が全て解除されたか確証がないまま、さらなる二次被害を最小限に食い止めるべく、人里離れた田園地帯で停車される。そのことに対して、作中で一連の事件の対策本部長を努めた鉄道職員は、その罪に対して組織に疑問を投げかけ辞意を表明するも、誰からも理解を得られることはなかった。
犯人グループのリーダーを演じた高倉健も、巧妙に身代金を抱いてコペンハーゲンに飛び立つ直前の飛行機を前に元妻と息子によって正体を暴かれてしまう。逃亡を図るも、最後は100人近い圧倒的な体制の警察部隊に包囲され射殺される。彼の行いは動機はどうあれ凶悪犯なため最終的に逃げ延びるわけには当然行かないが、作中で人間味をきちんと描かれていた人物の死に様としてはあっけなく、かつかなり暴力性の際立つシーンであった。

異なる立場の対策本部長と犯人グループは、同じく大きな社会的な力によって語ることもなく傷つけられている。
本作の公開は1975年だが、この当時は経済成長の最終局面に当たる。当時の成長と格差の社会の中で、利益の最大化のために個の存在や人生は今の時代に比べれば軽視されていただろう。
本作の主役たちの末路は、そういった社会状況の風刺ともいえるだろう。
個の軽視と言うのはもちろん当時の特有の問題ではない。繰り返す時代の中で行ったり来たりする時代にとらわれない、普遍性のある問題である。だからこそ、今見ても共感することが出来る作品になっているのだと思う。
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