レインウォッチャー

ルナシーのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ルナシー(2005年製作の映画)
4.0
おやおや。どうやら、シュヴァンクマイエルは怒っている。

シュヴァンクマイエル版『カッコーの巣の上で』とも呼べそう(ただし地獄増し)なこの映画を通して、放任と束縛の狭間にあるかりそめの「自由」、わたしたちが自由と信じてやまないもの、を明らかにし、狂気との違いなど何処にありや、と問う。その表現は時に、従来お得意の風刺や比喩の域をはみ出して、直接的な言葉で肩を揺さぶられる。

冒頭は、いきなり監督自身の挨拶から始まる。(※1)

「この映画はただのホラー」
「芸術は死んだ」

などと自虐的に(しかし淡々と)宣言する様に困惑してしまうけれど、映画の眼差しはまったく死んでいない。むしろ過去一ダークで、キレキレである。

母親と同じ精神病を発症する恐怖に囚われた青年(※2)が、道中で謎の背教者「侯爵」と出会う。
侯爵の紹介で訪れた精神病院は、患者を自由にして治療する方針というが、内情はデカダンス一色。しかし、どうやら本物の医者たちは幽閉されているのでは…?という疑惑に行き当たる。

謎に迫る中で翻弄され、正気と道徳が脅かされる青年。物語の合間には生肉のダンス、ランデヴー…ああ、くらくらしてきた。

この精神病院は、きっとわたしたちの生きる社会そのもの。
かつて、共産主義政権下のチェコ(監督の祖国)では映画をはじめとする芸術は国により検閲されるものだった。'89年のビロード革命以降は憲法によって「表現の自由」が保障され、検閲されることはなくなった…
のだけれど、果たしていま真の自由があるといえるだろうか。

検閲がなくなっても、もしかしたらもっと厄介なものが芸術を圧迫しているかもしれない。すなわち、資本&民主主義だ。
いつしか、芸術家と呼ばれる者たちは金の力により創造性を失って、売るためのコピーばかりを濫造するようになっていたのではないか。むしろ、検閲下でふつふつと沸く反骨心が創造の炎に転じた向きもあったのではなかったか…

そんな、知らないうちに自ら進んで縛られている「透明の鎖」の如き欺瞞にブチ切れているようでもある。劇中ではキリスト教に対してもダイレクトに牙を剥いているが(侯爵主催エロサバトのシーンは今作の白眉)、これは宗教に留まらず現代で是とされる観念や構造全般の代表と捉えることもできるだろう。

シュヴァンクマイエルさん当時71さい、とんだパンクおじいである。ただDVD収録のメイキングを見るとみんなニッコニコなので、ちょっと安心する。
現在は88になられるが、そろそろもう一発くらい世に喝を入れていただきたい気持ちだ。

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※1:登場の仕方を見て「タージンさんやん」と思ったあなた、大阪出身ですね(メンタリズムです)

※2:青年を苛むのは「繰り返し」の恐怖だ。この個人的な恐れは、革命も結局また次の抑圧を生む、という歴史が証明してきたこと、そして物語後半の展開、という大きな恐怖へと展開されていく。乙女と娼婦の間を行き来し青年を弄ぶシャルロットもまた、その顕現だろう。