未島夏

歩いても 歩いてもの未島夏のレビュー・感想・評価

歩いても 歩いても(2007年製作の映画)
4.2
家族とはどうしてこうも煩わしいのか。
そう感じるのは自分が受けた愛と、それに対する愛と恩が仕方ない位あるからだと、この映画を観ると残酷にも気づかされる。
一瞬でも、「愛なんて無ければ」と考えてしまうのが恐ろしくて、許せなくて、でもやっぱり煩わしくて、気づけば「ちょっと間に合わない」程遠ざけてしまう。
そんな誰にでも思い当たる、家族への不器用さを描いた映画。

家族という温かなしがらみは、心を内側から何度も掻きむしる。
生きて歩いて、自分の場所が出来ると、親の価値観との相違に嫌悪を感じる。
「ただいま」と言う事も忘れる程遠ざける。
親の心と、子の心。
これは永遠に相容れない。
でも、親子。
こんなに厄介な話は無い。
親子だから、どうしたってそこには、あまりに大きな愛が横たわっている。

親子は執着する。
是枝裕和監督の最新作「海よりもまだ深く」では、子の親に対する執着、つまり依存を描いたシーンが退行的ながらもある種愛らしく、よく登場する。
そしてこの「歩いても 歩いても」は、親の子に対する執着が描かれる。
執着といっても子離れ出来ないという様なものではなく、その想いは何年もかけながら人の真ん中に刃物を捻り入れる様な鋭利なもの。
それが現れる瞬間には、主人公の良多と共に観客も肝を冷やす事になる。
そうした姿を露わにした親というのは、見ていて堪らない。
やがてこの執着への描写は良多の連れであるゆかりの子、あつしの死生観にまで及んでいくのがまた何とも言えない。

喜怒哀楽一つ一つを決して捉えて逃さない卓越した描写力が、家族の営む風景を丹念に切り取りながら登場人物全てに余す事無く向けられる。
こんなにも「近い」映画には、そうそう出会えない。

パチンコ玉や聴き慣れたレコードがそうであるように、誰だって埋められない、自分だけの空白を持て余している。
家族を煩わしいと思った事の無い人間なんて、恐らく居ない。
ただただ、それを抱き続けて、歩いていく。
例えどんなに煩わしい想いであっても、そんな家族の事を忘れないというのが、最も深い愛情なのかもしれない。
未島夏

未島夏