ニトー

ブレックファスト・クラブのニトーのレビュー・感想・評価

ブレックファスト・クラブ(1985年製作の映画)
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なんだろう、この感じ。「フェリスは~」を観て以来、どうにもジョン・ヒューズという監督に対してモヤモヤするものを感じる。

この映画に限ってみれば、各キャラクターが関係性を変容させハッピーエンドに結び付いたように見える。構成が不思議だけど。

ほとんどピアカウンセリングの様相を呈しており、それのみで構成されているといっても過言ではない作りなんですよね(ほとんど同じ部屋でだけの撮影だし)、これ。30分もの間お互いにけん制しあっていると思えば、最後までほぼそれだけであるといえばそうだし。本当に、ナラティブのみでできているという歪さ。いや、確かにユーモアのあるシーンはたくさんあるんですけれど。

ジョン・ヒューズのエモーションの発露としてのダンスシーンは相変わらずあって、そこは確かに楽しいのだけれど、同時に何かやけくそ感もある気がする。

それぞれに異なる事情を抱えた「他者」を理解する。思春期の肥大した自意識と折り合いをつけて。しかしみんながみんな、大小・質は違えど家族との問題を抱えていて、それゆえに共感しあうという部分は、ジョン・ヒューズのパーソナリティに何かあるのだろうかと疑ってしまう。「フェリス~」のラストとかを観ていると特に。

バスケットケースちゃんが「大人=悪徳(意訳)」みたいな発言をしていたり、全員が親による抑圧を受けているというところと、「フェリス~」においてフェリスが成長をせずに元の位置に留まったのを考えると、大人という存在への不信があるのかなぁ、とか考えたり。思えば、フェリスのオプティミズムに貫かれたあのキャラクターと帰結というのも、逃避的といえば逃避的ではあった。

そこまで考えると、「ジュマンジ ウェルカムトゥジャングル」ではしっかりと各キャラクターたちが学校で再会して関係性の変化が継続していることを示していたのに対し、「ブレックファスト・クラブ」において変容を遂げたそれぞれのキャラクターはしかし親が運転してきた車に「回収」されてしまうところで終わる。

確かに最後のカットはジョンが陽気に帰路につくシーンだけど、それこそ「ジュマンジ~」のように描くことがやっぱりすっきりする形だと思うんですよね。

それを描かず、親=(大多数の)大人によって回収されてしまうというのは、やはり大人が彼らにとって軛として機能し続けていることを暗示しているようにしか思えない。

なんというか、すごく尾を引く形の終わり方なんですよね。
ニトー

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