ohassy

市民ケーンのohassyのレビュー・感想・評価

市民ケーン(1941年製作の映画)
4.0
歴代映画ベスト100などで、だいたい1位もしくは3位くらいに入っている本作ですが、そんなにものすごく面白いのか?
観たことがあればわかると思いますが、何を差し置いても一番面白い、ということは無いと思います(個人的には)。
本作が評価されているのは、革命的な映画技術や論法がその後の作品に決定的な影響を与えた、いわば映画史の大事件だったから。

何がどうすごいのかはいろんなところで評論されているので詳しくは割愛しますが、今見ても稚拙な部分はほとんどなく、巧みな構成で飽きることなく最後まで楽しめてしまうくらいには面白いので、当時の観客が受けた衝撃は計り知れません。

当時の映画人の中には「あんなもの映画じゃない」などと評していた人もいたようですが、その後生まれた数え切れないほどのオマージュや、何より現大映画の進化を見れば、その評は正しくなかったと言わざるを得ないでしょう。

とりわけ僕が好きなのは、パンフォーカス撮影を実現したことによる躍動感のあるダイアログや長回しショット、結婚生活が冷めていく過程を見事に表現したモンタージュ、そして何より、ケーンの残した謎の言葉「ローズバッド」の秘密を探る形でケーンの人生を描くことで、単調さを回避したシナリオ。
死者の秘密を探るには生前付き合いのあった人々に話を聞くしかないのだけれど、話し手によってケーンの人間像にブレが生じる。
そのブレこそが人と人との関係性だし、人間は多面体であることを示しているのだと思うと、見事というほかはない。

黒澤明の「羅生門」はまさにこの手法を参考にして生まれた傑作だけれど、「羅生門」はそのブレを映画の主題に持ってきている分、使われ方が非常に分かりやすい。
誤解を恐れずに言えば、本作の数ある優れた手法の一つが、「羅生門」という作品全体の主題になってしまっているということで、本作の存在の大きさが伺えるだろう。

オーソン・ウェルズのエピソードで大好きなのが、「宇宙戦争」をラジオドラマで放送したら、町の人々が現実に火星人が襲ってきたと勘違いして逃げ出し、パニックになったというやつ。
彼の演技のうまさや、演出家としての非凡さを現しているし、何より誰もやったことがないことをやるという意思を強く感じる。
本作で様々な映画技法を生み出すこととなった表現に対する「姿勢」と合わせて、心に留めたい。

本作で現実のメディア王に喧嘩を売ったことで、その後の輝かしいはずだった映画人としての人生を閉ざされてしまったオーソン・ウェルズ。
もし順調に歩んでいたならば、どんな映画を残しただろう。
お金を稼ぎやりたい放題をしたけれど結局はひとりになってしまったケーンの姿は、どこか重なるものがあった。
ohassy

ohassy