もるがな

スタンド・バイ・ミーのもるがなのレビュー・感想・評価

スタンド・バイ・ミー(1986年製作の映画)
5.0
何回も見たはずなのに涙腺がやばい。年を重ねれば重ねるほど、この映画は重みを増していく。

青春の鮮やかさへの憧憬と共感に目を奪われがちな本作ではあるが、この映画は単なる子供の冒険譚に終わらず、つねに死の匂いを纏っている。物語は旧友の死によって始まり、兄の死を引きずる主人公ゴーディは、死体を探すための冒険に対し乗り気になれない。銃の暴発に、チンピラのエースのチキンレース。死と隣り合わせの物語であり、夏の儚さと相まってより子供達の生が輝くのだ。死のモチーフがたまらなく蠱惑的で、ちょっとした背徳感めいたものを感じる。これは間接的ながら死に向かう旅路となっており、そこから生まれ変わる死と再生の物語でもある。

他にも家庭環境による格差や田舎に対するどうしようもない鬱屈など、薄暗い部分も多い。子供時代という共通体験はそんな暗部を覆い隠すからこそ価値があるのだ。余談だが、原作では訃報を受けた主人公の近くを、すっかり落ちぶれて中年になったチンピラのエースが通りがかる場面があるのだが、その時の流れの残酷さがまた素晴らしい。あの日に起こった全てがまるで夢のようでいて、身の回りに起こることが世界の全てだという少年期特有の感覚から解き放たれる瞬間である。また、ゴーディが自身のことを語る時、クリスにしか言わないというのもいいですね。

どれだけ時が過ぎても、あの時以上の友達は見つからない、という青春の輝きが映画のテーマではあるのだが、SNSが発達し、離れても連絡を取れるようになった今ではいまいちピンとこない人もいるだろう。ただこれは物理的な距離の話ではなく、心の距離感の話である。大人に近づけば近づくほど、格差はより深刻になり、相手の立場を慮るようになる。会話という手続きは段々と回りくどさを帯び、純粋さを失っていく。相手のことがよく分かるこそ、自然と疎遠になるということもある。

生涯の親友について語る時、人は常に友情の継続性ばかりを気にする。しかし実際はそうではなく、その時代、その年齢でしか心が通い合わない関係もあり、「その時」に「その場」にいるのは「その人」でなければ駄目という、運命としか呼べない関係性もあるのだ。それは親友というよりは戦友に近い間柄なのかもしれない。スタンド・バイ・ミーとは側にいてくれる人のことであり、ゴーディの転機となる時にクリスがいてくれたように、クリスにとっての転機となる時にいてくれたのがゴーディなのであろう。定番なのだけど、誰が何と言おうとこれだけは譲れない。それぐらい好きな作品です。
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