もるがな

ゴーストワールドのもるがなのレビュー・感想・評価

ゴーストワールド(2001年製作の映画)
5.0
リバイバル上映で再鑑賞。公開当時のあの頃はイーニドとさして変わらない年齢だった自分も、今はすっかりシーモアと同じ年代になってしまったことに隔世の感を覚えてしまう。今見るとイーニドの幼さは手に取るように伝わる反面、当初恐れていたほどには幼稚さ故の恥ずかしさや苛立ちは覚えず、むしろ何もかもが愛おしく、忘れ去っていた大人社会に対する無尽蔵の絶望と怒りは今のほうがより伝わってくるかもしれない。

イーニドとさして歳の変わらなかったあの頃は、何よりも「自分のタイミング」というものに異常に固執していて、それが罷り通らないままならなさや尊重してくれない周りに対してただ怒りをぶつけていたばかりだった。今になって分かるが物事に「都合のいいタイミング」など何も存在せず、自分の気持ちも納得も、全てはそれに追いつく前に事態は止まることなく進行しており、否応なしに「その時」が来れば選択を迫られてしまう。自分からあれほど欲していた感情も考えも、いざ向こうから来ると怯えの感情が先走り、自分の未来が決定づけられない焦燥感と、逆に意思に関わらず決定付けられてしまう不安感がないまぜになり、ただひたすらに逃げることしかできないのだ。

そんな惰性で過ごす日々は白紙のように薄っぺらくて何も起こらず、判で押したように変わりない郊外の風景には無味乾燥の絶望が際限なく広がっている。これは地方都市に住んでいれば分かる感覚の一つであり、周りほどバカになれず、また順応して賢くも生きられない。モデルケースなんてものはなく、未熟であることを永遠に突きつけられる。

最後に乗ったバスのシーンは当時は凄く絶望的で胸に刺さったわけだけど、今の年齢で見ると逆に希望のある終わりに見えたのが凄く印象的で、それは歳をとってしまったせいだからだろう。とりあえずは生きていけるし、何とでもなる。だからこそ少しの間つまづいても立ち止まっても許されるような世界であって欲しいと願ってしまった。

余談だが、アラフォーとなりシーモアの年齢に近づいた今見ると、スティーブ・ブシェミは自分含めた同年代の周りと比較してもわりと小綺麗で、言われているほど冴えないようには見えなかった。それでも若い子から見ればどうしようもなく「おじさん」であり、おじさんになってからの年月はひたすらに長すぎるんだよなあ……と感慨深くなってしまいました。合掌。
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