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秋津温泉のKamiyoのレビュー・感想・評価

秋津温泉(1962年製作の映画)
4.0
1962年”秋津温泉” 監督吉田喜重  脚本吉田喜重
原作藤原審爾  企画岡田茉莉子
原作は1947年発表の藤原審爾 小説『秋津温泉』で
(女優 藤真利子さんのお父さんです)
17歳から34歳の17年間の結ばれない愛を描きます
この小説の内容が岡田茉莉子の心と激しく共振したのだと思います
岡田茉莉子から、当時ヌーベルバーグで流星のごとく現れた吉田喜重監督を指名して持ち込み企画で、100作記念作品として彼女がどうしても吉田監督に撮らせたかったとのこと、そして、この二人は本作公開の翌々年1964年に結婚することになるというオマケまでついた。
当時 岡田茉莉子、吉田喜重共に29歳独身

映像は大変に美しい
ヒロイン岡田茉莉子を如何に美しく撮るかがテーマになっていますが、美しさと背景となるロケ地の素晴らしさがまずは見所の悲恋ものだ。
和服を着こなした岡田茉莉子を様々なアングルで捉えるカメラ。若干くどいですが?
舞台となる秋津温泉は実在ではなく奥津温泉のこと。
岡山の奥座敷ともいえる温泉地の落ち着いた佇まいが
美しく撮られてワイドカラーが活かされています
音楽は重厚で素晴らしいものばかりです
しかし大袈裟に過ぎて邪魔に感じることが多いです
そのかわり効果音が渓谷の秋津温泉の静けさと津山や東京の喧騒との対比を上手く強調しています

相手役の青年河本周作(長門裕之)肺結核病み、藤原審爾本人自身のことであろう。病いに冒され死に場所を探すかのように秋津温泉に辿り着く。
そこで出会うのが疎開でやってきていた旅館の娘、新子(岡田茉莉子)17歳のちょっとお茶目な少女時代から17年間、一人の男を想い続ける新子。
終戦の知らせで大泣きする新子の姿を見て逆に生きる勇気をもらう周作。二人の恋は深まるけれど、母の反対などもあって離れ離れに。
周作は岡山で文学仲間の妹晴枝(中村雅子) 結婚するも荒んだ作家生活を送る。
時折秋津を訪れては新子と逢瀬を楽しむ。
時々戻ってくる男というのも、ある意味男の欲望と打算が見え隠れしているし、身勝手さと、それでもつくす悲しい女が対照的に描かれる。
二人の人生のベクトルは反対方向に走り出す。

初めて出会った戦争末期に、周作の「心中しよう」という言葉に反応しながらも、冗談よ、と大笑いした新子が、
歳月を経るに従い死という言葉に重みが増してくる。
最後には虚ろな心で周作の後ろ姿を見送る。
要領よく生き延びていく周作には我々は何の感情移入もできない
心を切り替えることができなかった痛々しい女の姿には胸を締め付けられる。
現在の世代ではちょっと作られないような映画かなぁと思う

10年経ってしまったわ
私、何にもしなかった
何にも考えないで、何にもしないで
あっという間に10年経ったのよ
そうじゃないわ
きっと色んな事があったのよ
あたしだって一生懸命だった
あなたがここにいない間、私何していたと思う
じっと待って、待って待ちくたびれて・・・

この台詞は岡田茉莉子本人の女優としての本心をそのまま語った言葉のように思われてハッとなりました
つまり、本作は形を変えた岡田茉莉子から吉田喜重への熱烈なラブレターであったように感じられてなりません
終盤は、岡田茉莉子が演じる新子が34歳になって抜け殻のように生きているシーンとなります
いつまでもあなたを待ち続けます
でも、私はこうなってしまうに違いありません

そしてクライマックス
あなたへのこの愛が成就しないのなら、自分は女優を引退する決意なのです
そう迫っているように思われてなりません
果たしてラストシーンで周作は、初めて彼女への愛と真剣に向かい合うのです
この火の出るような猛烈な勢いの愛がこもった彼女の演技が、監督の演出と互いに反射しあっているのです
それが終盤に、強烈な緊張感をもたらしているとおもいます
岡田茉莉子を美しく撮るために、あらゆる努力を惜しまなかった吉田喜重と、それに応えた岡田茉莉子の思いが交錯した作品。
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