Kamiyo

骨までしゃぶるのKamiyoのレビュー・感想・評価

骨までしゃぶる(1966年製作の映画)
3.9
1966年(昭和41年)東映 ”骨までしゃぶる”
監督 加藤泰   脚本 佐治乾

栄華を極めた時代劇映画も下火になり東映は任侠物に路線変更し時代劇はテレビに移行した時期にあたる
東映3人娘の一人桜町弘子初主演作念願だっただろう初主演作はデビューから10年かかったのです 
懐かしいね。。。
僕が小学生の頃に東映映画を見始めた時代劇の
町娘やお姫様役が多く印象的で
もう半世紀以上彼女の作品みていないね。。。久しぶりや
東映時代劇”三姫”は”丘さとみ”大川恵子”桜町弘子”です
僕にとっては、少年時代の風景に今も心残る美しい女優達です
舞台が洲崎でしかも、廓話とくればどうしてもあの映画、私が大好きな監督、川島雄三監督の「洲崎パラダイス 赤信号」を思い出さずにはいられなくなります。

身も蓋もない凄い題名が付いていますが、明治33年(1900年)の遊郭を舞台にした “女郎群像劇&脱出サスペンス”の佳作であります。
明治33年の洲崎遊郭が舞台 “骨までしゃぶる”のは、廓がおぼこ娘を借金漬けにして骨までしゃぶる、ということ。お絹(桜町弘子)は、明治33年、18歳の時に、親の借金のために女衒(汐路章)に買われ、洲崎新地の廓に売られる。
ヒロインお絹の目を通してその地獄のような廓の実態を描いた。最初は天国のように見えた廓の仕組みをお絹が理解するに連れ、見ていてこちらまで居心地の悪さを感じるし、様々な事情で廓にやってきた女郎たちの生きざまも胸に迫るものばかり。
お絹は、字も読み切れない女から遊女として我慢して勤めていたが、やがては自分の成すべき事に目覚めて、女郎屋のオーナーと対決していく。
この場面のお絹は、法律を必至に覚え、オーナーを言い負かすシーンは凄くいいですね。。。。

お絹と紋付きでやって来た馴染み客河村甚吾郎(夏八木勲)が、お互いの想いを確かめ合い、お絹が“いつか必ず廓を抜け出してあんたと一緒になる ”と宣言するワンカット長回しの演技はよかったです。
ラストの甚吾郎(夏八木勲)と一緒に橋を渡って廓を出ていくお絹のなんとも言えない明るい表情はこれまでのお絹の苦労を思うと、お絹がやっと幸せをつかめたことが、
自分の事ように嬉しく、思わず良かったねえという気持ちになり、このラストには泣かされた。

東映の御姫様女優:桜町弘子、宮園純子、久保菜穂子のおひいさまイメージを逆手にとった役柄のギャップと、曲者俳優:三島雅夫(粘着質因業親父)、三原葉子(自己中凶悪女将)、菅井きん(お歯黒やり手婆)、遠藤辰雄(付和雷同役人警官)の大怪演との対決が愉しめます。
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