ニトー

お茶漬の味のニトーのレビュー・感想・評価

お茶漬の味(1952年製作の映画)
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このともすれば退屈にも受け取れそうな日常風景が、しかしどうしてここまで引き付けるのかと考えると、そこには関係性のエロスがあるのではないかと思うのです。結局、岸恵子や津島恵子が本人のポテンシャル以上に可愛くキュートに見える(そしてその女優たちと対置させられる男優たちが滑稽で愛おしく見えるのも)関係性が醸成するエロスなのだ。

「早春」において、岸恵子と池部良は、不倫と言ってもそこには淡島千景を巻き込んだ昼ドラ的なドロドロ愛憎というものはなく、危うい橋を渡るようなフックはない。つまり、関係性によって規定されうるロールモデル(ステレオタイプと言ってもいいかも)・役割期待を絶妙に外してくるところに関係性萌えのエロスがあるのではないか。

「お茶漬けの味」にしても、佐分利信と津島恵子の叔父と姪という関係性からあわや逸脱してしまうのではないかと思わせるシーンがある。もちろん、表面的にはいたって清潔な関係性ではあるのですが、やりとりの妙だったり、という部分からどうにもそう見えてしまうのですな。

「秋刀魚の味」でも思ったのだけれど、岩下志麻と笠智衆という実の親子という関係をまっとうしつつも、そこはかとない男女の関係を予感させる。

そのくせ話のオチはかなり予定調和的というか、家族の再興に帰着するあたり、かなり妙な作りになっているのではないかと思うのです。

で、書いていて思ったのだけれど、この点においてわたしは小路啓之との共通性を見出してしまっていたりする。まあ自分でもどうかと思うのですが、小路啓之の作品はどれも「愛」や「関係性」についてめちゃくちゃ遠回りにぐねぐねこねくり回したあげくに至極まっとうなところに行き着く漫画であると思っていて、そこが自分が小津を楽しめるところなのかな、と思ったりする。まあ、小路啓之の場合は表現メディアが漫画であるという部分でかなりカリカチュアされていたりするんですが。イハーブなんか、実の父親を男として見ている娘が出てきたりしますし。ただ、小津の場合はそこまで禁忌的に描くことはしないので、その端正さ・上品さはむしろ対極にあると思うんですけれどね。



やっぱり思ったのは小津って日常系の鬼なのではないか、ということですよね。どれもこれも話が驚く程に卑近なのですな。もっとも、当時の、ということではあるので社会の構造が変化した今見て全面的に同意できるかどうかは定かではありますんが。
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