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ボーイ・ミーツ・ガールの海のレビュー・感想・評価

ボーイ・ミーツ・ガール(1983年製作の映画)
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18歳だった、これを観たとき。今日わたしは驚いた。あの頃、こんなに知らないこと多かったっけ。「しあわせだったろうな、なにもおもわないなんて。」「しあわせだろうな、なにかおもえるなんて。」おまえたち、二人ともわたしで、それなのに別人みたいに話し合うところが目に浮かぶ。喧嘩したら、どっちが勝つの。自分のことを語りあえば、どっちが先に黙るの。あの頃、わたしは、なにか終えたあとのはじまりが、終わってしまったことの輝きに優っているとはかぎらないことをちゃんと知っていて、たぶん今よりそのことを解っていて、だから終わりが怖かった。できるだけ、眠りたくなかったし、できるなら、永遠に起きて、今やっていることを続けていたかった。なんでもいいのよ、本を読むことでも映画を観ることでも詩を書くことでも絵を描くことでも。ただやめてしまえば自分はもう終わりだと思っていた。死んだも同然だと思っていた。たった一回でも諦めてしまえばもう零していくのみ、椅子に座るのさえ怖かった。恋をすれば結婚で、馬鹿をすれば面白がって、コマーシャル入って携帯を触る、目の前にあることをその通りに捉え怠惰に生きている人達を本当にくだらないと馬鹿にしていた。だけど自分もそうすべきだと焦っていたのも確かだった。恋人をつくった、恋をしたくて。私は貴方が好きです、それに嘘はなく、でも貴方は私ではない、何故解ってくれないの、子どものように駄々を捏ねた、そばに寄らないで、愛をかたらないで、どこか消えうせて二度と帰ってこないで。私は貴方の前で、私で居たくなくなっていき、貴方の望む私を演じ出す。私をきずつけないで、他に何もできなくなる。「夢も恋もセックスもおもっていたのとは違った。」3年前わたしはまさにその意味の言葉が欲しかった。それを思う誰かがこの世のどこかに居るだけで、3年前のわたしはすくわれたはずだった。あっという間だったはずの1日が、1年が、確かにわたしを変えていることが今は少し怖い。出来事のさなかには決してみえず、終わってはじめて見えるものがある。わたしはあれから恋を知った。彼とは恋人にはなれず、ただ恋をしていた。あれこそ本物の恋だったとおもえるのがたった一人であることに、わたしは自分の根性の悪さをみている、わたしは一人きりじゃ、本当にくだらない捻くれ切った人間に違いない。いままで恋と名付けてきたいくつもの関係にばつを付けて、削れてなくなりそうなそれをあなたの前に差し出したときあなたはきれいだと言ってくれた。目にみえない傷が愛しい。あなたのそれが愛しい。「わたしは子どもじゃない」「おまえはまだ何も知らない」「あなたとなら何を知っても知らなかったころに戻れると思う」そばにきて愛をささやいて二人でどこか消えうせて二度と帰っては来たくなかった。過去はいらない、ことばさえあれば。事実はどうでもいい、あなたの語ることだけがすべて。あなたのたった一晩をください、それがあればわたしは一生死なずに生きていける。そうよあの夜、確かにわたし、あなたに殺されたかったんだ
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