再再再鑑賞
一人旅に出るのが好きだったりする。
仕事が忙しかったり、友達と遊ぶ予定が詰まりすぎたりすると無性に旅に出たくなる。
まだ行ったこともない土地で、全く知らない人と喋っている時、名前、職業、住所、何が趣味か、どんな人とよく遊ぶか、などなど、自分という存在に付帯的についてくる認識を全て忘れて、何でもない存在になれる。
そして旅先で出会った人にとっても、僕という人間は、"旅人A"程度の認識でしかない。
日常にまとわりついてくる他者からの認識や、自我から離れ、"旅人A"という何でもない存在になることは、とても心地よい。
ジムジャームッシュの作品は常に、こうした何でもない人たちを描くことによって、あの"旅人A"になる、ある種の浮遊感を伴ったカタルシスを誘発させてくれる。
そこには、
女優より整備工に憧れる人がいたり、
ヘルメットとヨーヨーという人がいたり、
目が見える人よりも目が見える盲がいたり、
喋りすぎる人がいたり、
明け方の倦怠に俯く人がいたりと、
何でもない人たちが、
何かが起きてそうで何も起きていない認識と、
何も起きてなさそうで何かが起きている認識を抱えてくだらない一夜を過ごしている。
そして恐らく、大方の人間の人生はくだらない一夜の連続で形成されていく。
地球はくるくる周り、
夜とタクシーと人はただそこに在る。
ジムジャームッシュの目に映る世界には、
数多の"旅人A"が併在するのみだ。