Naoto

ロスト・ハイウェイのNaotoのレビュー・感想・評価

ロスト・ハイウェイ(1997年製作の映画)
4.3
人間が感覚する物事は元来意味や整合性、合理性といったものはないのだと思う。
そこにはただ視覚を通して脳内に映し出されたイメージのようなものがあり、聴覚を通して脳内に流れてくる音のようなものがあり、触覚を通して脳内に感覚される物体のようなものがあるだけだ。

それではなんらかの行動を起こすのに都合が悪いので、認識という機能を働かせて感覚された物に意味を与えるのだと思う。
この認識は言葉というツールを使って行われる。
例えば、丸い球のような物を"ボール"という言葉で認識し、物を置けそうな板のような物を"机"という言葉で認識する。

こうして、感覚された物事を便宜上の都合で認識に変換し直して、物事に整合性という物を与えているのだと思う。
そしてこの認識システムの軛に当てはめることが出来ず、物事に意味や整合性、合理性といった物を与えられなかった物事を"狂気"という言葉で無理矢理認識の軛に当てはめるようになっている。

本作はこのような認識システムを失い、感覚の世界に(正気から狂気へ)置き去りにされてしまった男の物語だと言えるのだと思う。
感覚された物事には元来意味はないはずであったので、男の世界に意味はない。

自分が他人に入れ替わるように感覚されたり、他人が別の人間に入れ替わるように感覚されたり、会ったこともない人間を感覚したりする。

この、意味が与えられない事と言うものの恐怖が画面にとことん横溢する。
全てのことが定かではない。
感覚のみの世界(狂気)といっても、男は時折認識システムが復旧する(正常)。
なので余計に整合性や合理性のない感覚界(狂気)にじわりじわりと堕ちていく様に自分で恐怖する。

この映画に解釈というものを与えていいのか分からない。
伏線がどうたらとか言うのも的外れでしかないと思う。
ただただ、認識できないことの恐怖に戦慄するばかりだ。
恐るべし、天気予報士…。
Naoto

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