Naoto

暗殺のオペラのNaotoのレビュー・感想・評価

暗殺のオペラ(1970年製作の映画)
3.7
主人公アトスはある町を訪れる。
その町は20年前、アトスがそっくりそのまま名前を受け継いだ父が何者かの凶弾に倒れた町だった。
父アトスは反ファシズム運動の有力者であり、暗殺されたことによって英雄化している。
子アトスは父暗殺の謎の解明に乗り出す…と言う物語。

原作はボルヘスの「裏切り者と英雄のテーマ」と言う作品で、
チェスタトン(ミステリー作家)とライプニッツ(数学者&哲学者)の影響の下で書いた作品だ、みたいな書き出しから始まっている。

ここで注意を払っておくべきであるのはやっぱりライプニッツの存在が作品の中に影を落としていると言うことなのだろうと思う。

ライプニッツはこの世の事象の全ては決まっていたことであり、神の予定調和であると説く。(ざっくり)
は?と思うが一旦そうであると仮定して話を進める。
もし、過去に起こった事、未来で起こる事が全てが決まった事であるならば、良くも悪くも人間の意思の介在が許されない。
つまり、人間は現実に対して全く無能力になってしまう。
「だったらもう何もしなくていいや」
となるのが普通だと思うが、ここからライプニッツ哲学の妙味が現れるのだと思う。

「形而上学叙説」という作品の中で、
過去に起こった出来事に関しては満足する事(例えロクでもないものであろうとも)、
これから起こることに関しては全力を持って努力しなければならない。みたいな趣旨のことを説く。(ざっくり)

つまりライプニッツは、人間という存在の卑小さを謙虚に受け止め、過ぎ去った過去を十全に愛しながらも今を懸命に生きるのだ、と言っているのだと思う。
これであるならば神云々の論述方法に我慢して付き合った甲斐がある普遍性を感じることができる。

閑話休題。

本作でコミットされる事象は政治闘争、そして渦巻く権謀術数。
これに対して全く無能力であるのがアトス達なのだと思う。
この舞台で起こっていることはまるで全てが決まっていたことのように進んでいく。
それが良いことなのか悪いことなのかを脇に置いて。
そしてチェスタトン風の気の利いたミステリーの先にそうした予定調和の真実は藪の中へと追いやられる。

いつの時代も政治的なイデオロギーってこんな感じで作られていくんだろうなと思う。
それでも、目を逸らさず現実にコミットして生きていかなきゃなんねぇんだぞ!
とライプニッツの声が脳内にこだまする。

現実の数奇さと政治の薄闇を抱えながらも日々を演じて生きていかなければならない。
こう思うのも予定されていたことなのかもしれない。
Naoto

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