岡田拓朗

息もできないの岡田拓朗のレビュー・感想・評価

息もできない(2008年製作の映画)
4.3
息もできない

二人でいる時だけ、泣けた。
愛を知らない男と、愛を夢見た女子高生。傷ついた二つの魂の邂逅。

彼らが歩んでいる道は人生なのか、そもそも本当の意味で生きられているのか、日々がどう見えているのか、そんなことを考え続けて苦しくなっていく。

身の孤独よりも心の孤独の方が何倍も怖い、誰にもわかり得ない環境下で、苦しみからの解放という出口の見えないゴールに向かって、正解もわからぬままただひたすらに生きる、いやその光景はもはや生きているという感覚すらも感じないほどに危うい状態であったことが、「息もできない」という形で表現されている。
まさに「息もできない」という邦題は、(本当の意味で)生きるためのスタート地点に立てていないことの比喩になっており、申し分なさすぎるセンスだと感じた。

そんな中、孤独の先の苦しみの中の世界で生きていたサンフン(ヤンイクチュン)とヨニ(キムコッピ)が出会うことによって、その世界に徐々に希望が見えてくる。
サンフンの吐いた唾がたまたまヨニにかかる、ヨニは逃げずにサンフンに立ち向かう。
ヨニも並々ならぬ覚悟と強さ、背負っているものの大きさを持ちながら生きていることがよくわかるシーンで、サンフンの中の何かに響いたような感じもあった物凄い出会いは、数多ある出会いのシーンの中でも個人的にはベスト級だった。

二人は唾棄すべき父を持ち、母を幼くして失っている似た者同士だったからか、その二人でしかわかち合えないであろう世界を徐々に創り上げていっていた。
お互いがお互いの拠り所になるように、少しでも人として息のできる人生を歩めるように、どちらもが必要としていた切っても切れない縁になっていったのである。

優しさの表現がわからないサンフン。
そもそも過去の状況やトラウマから、優しさなんて言葉すら、サンフンにはわからなかったのかもしれない。
そんな中でも、独りよがりな優しさというか、あるがままの彼なりの助けを甥のヒョンインに見せる姿にはグッとくるものがあった。

サンフンはヨニに酒を奢り、ヨニもサンフンの姉や甥のヒョンインと友情を結んでいった。
ヨニによって秘めていた優しさを引き出されていくサンフンだったが、ヨニの弟であるヨンジェが弟分になるその運命が、徐々に悲劇へと導かれていくのであった。

暴力は破滅しか生まない、それなのに暴力が当たり前に、日常になることの怖さを今作はひしひしと訴えてきている。
人は過去から創り上げられてきていることを見せつけられるようなサンフンの暴力的な性格とヨニの口の悪さ。

それでも二人が絶対的に救われて欲しいと思うのは、彼らがまさにどうすることもできなかった環境に生まれ育ち、息のできる人生のスタート地点にすら立たせてもらえていなかったからである。
自己責任という言葉では決して済ませることなんてできるわけがない厳しい過去と現在が、頭で行き来するように作品の中でも行き来して、さらなる感情移入を促進していくような展開だった。

二人でいる時だけ、本当の意味で生きるスタート地点に近づいていった。
二人でいる時は、少し優しくなれて、人間らしくなれる。
あ、なんか楽しいってこういうことなんかなって、誰かと一緒にいるよさってこうことなんかなって、徐々に気づいていく二人。
愛を知らなかったサンフンが愛に気づき始めていく。

二人で笑うって、二人で泣くって、こんなにも幸せなに見える瞬間だったっけ、ってその重みがとても深く感じられる作品だった。

このまま愛し合って欲しかった二人だが、崩れて欲しくなかったこの世界も、現実はそう甘くないと言わんばかりに崩れてしまう。
救われていく世界と結局救われない世界の対比をも、上手に表現されていたのが響くポイントでもあった。
それが、暴力は何も解決せずに破滅や悲劇を生むだけのものであるメッセージ性を加えていた。

また、サンフン自身が発した言葉が伏線となり、最後のシーンに昇華されていく展開は、本当に素晴らしすぎた。

人が人らしい喜怒哀楽の感情と優しさを持ち合わせることができるのは、心の余裕と接する人とそれをわかち合えるかどうか、人と接することにそのよさに気づけるかどうか、であることがわかる。

それにやってしまったことは返ってくるという報復の原理はどれほどに残酷であるのか、そこに涙せずにはいられなかった。

これは傑作だ。
デビューで自身が主演をしながらもこんな作品を作るヤンイクチュンのことをもっと知りたくなったし、キムコッピの演技にもとても惹かれた。
間違いなく頭に、心に、響いてくる作品でもあり、演技でもあった。

ぜひ、一人でも多くの人に鑑賞して欲しい作品です。
岡田拓朗

岡田拓朗