けんたろう

モダン・タイムスのけんたろうのレビュー・感想・評価

モダン・タイムス(1936年製作の映画)
5.0
妹二匹が完全に忘れ去られてゐるおはなし。


常に変化しつゞくるのが自然なのに対し、機械は反復をしつゞける。ベルクソン曰く、変化に対して柔軟に対応することの出来ない──即ち自然でない──ザマを観たとき、我々は其処に可笑しさを覚ゆ。
成るほどベルクソンは機械其のものではなく、其の性質、即ちオヽトマチズムを論じてゐた。然し、機械の性質が可笑しさを生むのならば、無論機械其のものも亦た可笑しさを生まう。詰まり、機械とコメデイの相性は、端から頗る良いのである。

其処に来て本作。もう面白いのは当たり前である。加へて、チヤツプリンである。もう面白いのは当たり前である。
機械の故障の犠牲に成つたり、機械に精神を侵されたりする描写は、酷く滑稽。もう可笑しくて堪らない。
当然、反復のユウモアも有る。何を遣つても上手くはゆかず、逮捕、失職、逃亡を繰り返す様などは酷く可笑しい。
タイミングよく(悪く?)、運動やら何んやらに巻き込まるゝ様に至つては云はずもがな。いや、云はう。哄笑である。加へて此れ又た繰り返さるゝものだから、彌〻笑ひが止まらない。おい助けてくれ。


さて、資本主義や機械文明、延いては自由の国アメリカで行はれた思想弾圧への、痛烈なる批判が見らるゝ本作。
たゞチヤツプリンの映画に在るのは、決して他責性などではない。ユウモアである。笑ひである。だからこそ批判も亦た痛快なんである。然うして上品なんである。詰まるところ、最高なんである。
成るほど本作公開から幾十年経つた今日でもチヤツプリンの批判せし状況は生きつゞけてをるが、然し斯うも面白き作品は二度と生まれまい。チヤツプリンと同様の眼を持ち、且つチヤツプリンと同様の製作力を持つた者など、最早や此の世には居るまいからである。故に唯一無二。最低の社会と最高のコメデイアンが織り為しゝ極上の一作である。其れあ、オヽトマチズムに依る可笑しさや不条理なる可笑しさも一入活きよう。


さて、さて、何を遣つても上手くはゆかぬ日々。夢の国で、たゞ夢を見つゞくるだけの日々。果たして『ライムライト』での彼れの台詞を思ひ出す。「人生は意味ぢやない。願望だ」
而して、機械的なる日々のなかに、尚も愛と夢とを持ちつゞくる其の姿勢。何んな苦難に襲はれようとも、決して笑みを絶やさぬ其の姿勢。嗚呼、生活である。此れぞ生活である。成るほど其のザマは酷く滑稽に違ひない。其のザマは世間の ”高尚” なる皆々様から冷酷なる嘲笑を受けるに違ひない。然し其のザマは至極美しい!
詰まるところ、姿勢である。姿勢こそが美しいんである。即ち、笑へ! 笑うて生きよ! スマイル! スマイルスマイル!

矢つ張りチヤツプリンは最高のコメデイアンである。成るほど態〻云ふことでもなからう。然し私しは敢へて云ひたい。チヤツプリンは最高のコメデイアンである。私しはいま、御仁を心より尊崇したり。